「……あれ?」

日本、並盛町。

家族同然と呼べるチビたちや、家庭教師だと言い張る奇妙な赤ん坊、そして母さんと共に暮らし始めて数年。

幾つもの季節を越えたある日のこと。

自室のクローゼットの奥の奥、幾つも積み重ねていたダンボールを引っ張り出していた俺は、見慣れない豪奢な表紙を発見した。

「……ん?アルバム?」

水色のハードカバーは加工が施されていて、重厚感を醸し出している。

埃を被っている上に記憶にないとなると……どれほど昔の代物なのか。

第一、俺自身がこのような丁寧で地味な作業を行うとは思えない。

誰かの私物が混ざってしまっているのだろうか。

「って、うわ。――あーそっか」

パラリと中をめくって、得心がいった。

そういえば、そうだ。確か日本に移り住むことになった翌月辺りだっただろうか。

イタリアの自称ライバルの友人から乱れまくり荒れまくった文体の手紙と共に、送られてきた一冊のアルバム。

こんなところに仕舞い込んであったのか。

「懐かしい……なーんて言えるほど年とったわけでもないはずなんだけどなぁ」

忘れるわけがない記憶。

でも、思い出そうとはしなかった記憶。

眩しすぎた日々は呼び覚ませば次々に溢れかえって俺を満たしてしまうから。

そっと表面を撫でながら、一枚、また一枚と、友人たちと並ぶ写真は、俺ばかりが被写体であるわけではなかった。

もとより、彼女が俺を中心に写真を残しているわけがなかったのだから。

主に、彼が。

そして、俺が隣にいたから…。

「…………」

遠い記憶に目を細める。春夏秋冬。重ねた数は少なくても、手放せない、大切で重要な、俺の思い出。




父さんが所属するマフィアとやらの方針に沿って、俺が放りこまれたのはマフィア関連の子供が通う、由緒正しき伝統深き、分不相応としか思えないお金持ち学校だった。

全寮制で、最初はすごくすごく、嫌で嫌で仕方がなかった俺は、何もかもが豪勢で豪華で豪奢すぎる寮や校舎に対して怯えしか抱くことが出来なかったのだ。

こんなに夢も希望もない学園生活、まっぴらごめんだ。

いつか、必ず逃げ出してやる。

そう、思っていた。

入学、登校初日、隣の席の、銀髪の男と出会う、運命の瞬間までは。







「う゛お゛ぉい!ツナヨシぃ今の授業のノートとってたかぁ!?」

「うんとってたよ。ていうか…スク、寝すぎ」

授業時間終了の鐘の音と同時。先生がまだ出て行ってすらいない段階で、隣の銀髪が声高に質問を飛ばしてきた。

銀色が、窓から注ぎ込む陽光に照らされてキラキラと輝きを放つ。

スペルビ・スクアーロ。彼は、俺の数少ない友人の一人だった。

周囲を金持ちなマフィアの子供に囲まれて、萎縮するしかなかった俺にもたらされた救い。

それが、隣の席のスクアーロとの他愛のない会話だ。

というか、このスペルビ・スクアーロと出会ってから、世界がぐるりと180度変化を遂げたような気がする。

たとえば授業中の態度。

彼はどうしようもなく不真面目で、授業をさぼることなど至極当然という顔をしている。

出席しても突っ伏したまま、顔を上げることなどまるでないという有様で、まともに受けるということを知らない。

たまに起きていたとしても教科書を忘れてきていたり。

だから、ノートを見せてくれと頼まれるし、教科書も机を寄せて一緒に見る、ということになるのだ。

おかげで俺はというと、うかうか寝ているわけにもいかなくなった。

まあ、結果的に成績がちょっと上がったのは感謝してもいいかな、とも思うけれど。

不服に思うのは、席が隣というだけで訳のわからない不良同士の喧嘩に巻き込まれたり、おっそろしいボンゴレの御曹司とも関わりを持つようになってしまったことだ。

ボ、ボンゴレって親父が所属してるとかいうマフィアじゃないか!

媚でも売っとけというのか!

と思いつつ、スクアーロは彼と何らかの関係があるらしく(というかまるで下僕のような扱いを受けている)必然的に関わり合いが増えてしまったのだ。

毎日何かが起こるので日常が非常に目まぐるしく、もうこれは平々凡々な生活なんて夢見ていられないなと諦めてしまえるほど。



しかし、ぶっちゃけてしまうと、この生活は嫌いじゃない。

むしろ…… 気に入っている。

理由は、なんというか。

非常に言いづらいことではあるが……スクアーロに好意を抱いているからだ。

どういう種類かは、あんまりはっきりと自覚したくはないので、勝手に友愛だと決め付けているが…… いやいや、これ以上は考えちゃいけない。

遠慮もないし配慮もないが、時折見え隠れするさりげない優しさだとか、潔さだとか、俺にはない強さだとか。

すごく、好き。

そんなこと、本人には絶対言えないし、言わないけど。

だって、恥ずかしすぎるじゃん!



とりあえず、すっかり慣れきったトラブル続きの日常と、スクアーロとの関係を、俺は日々満喫していた。

今の関係はとても居心地がよかったから。

壊したくは、なかったから。







なのに。






「お前が好きだ」







静まりかえる教室。

掴まれ、引き寄せられた腕。

喉をつっかえる息に押さえ込まれて、思わず呼吸すら忘れながら。

唐突なる告白に、俺の日常は破壊された。







そして、なんだかんだ照れもあり恥ずかしさもありでひと悶着あったんだけど、付き合うことになって。

未だに記憶の底にはあの時、俺の告白にぽかんと口を開いて呆けたまぬけな表情の彼がいる。







そして、体育祭で、このアルバムを作成した張本人、マリアさんに凄まれて、脅されて。

俺の存在がスクアーロの迷惑になると言われて、悩んで、悩んで、悩み貫いて。

ついには彼から逃げて、避けて。

それでも俺は、やっぱりスクアーロが好きで。



「選ぶ必要なんかねえぞぉ」



「選ばれる必要も、ない」



「お前は元より、俺のものなんだからなぁ!」



……今思い出しても恥ずかしいセリフを、よくもまあ全校生徒の集まるグラウンドで、しかも競技に参加する身で言ってくれたものだ。



で、何故かザンザスと二人きりでデート、することになったんだっけ。

今思えば、あの時のザンザスのあの行動も、行き先も、全部全部、布石だったのかもしれない。

二人連れ立って…というより俺が拉致られて訪れたのは日本。しかも、並盛だったのだから。

この家にも、来たよね。えっと…記憶違いがなければ押し倒されたりもしたっけか。

何故だか居合わせた――多分追ってきてくれたスクアーロに助けられたけれど。



それで、それで……。

あ。

嫌な記憶に行き当たった。

パラリとページをめくった先には、それはもう、今すぐ引っぺがして破って破って細切れにして、活火山の火口にでも放り込みたい気になる一枚の写真。

文化祭、と大きく書かれた看板の横、舞台上で俺がすごい美女に抱き寄せられながら唇を奪われているシーン、だ。

誰だ。写真を撮ったのは。

マリアさんが持っているくらいだからきっと他にも持っている人間がいるのだろう。

ありえん。

生徒会主催のコンテストはその年によって様々に変化する。

俺達がぶち当たったのが、まさに、その、悪夢の元凶。

写真に写りこむ横断幕にも描かれている、そのコンテストの名。

そして、俺の姿。

黒のシンプルなワンピースにフリルが映える純白のエプロン。

ヘッドドレスを飾る頭は襟足の長いウィッグが取り付けられていて……一見俺ではない、けれど。薄化粧を施したその女の子は、紛れもない俺で。

男子の女装による、ミスコン。

マリアさんの脅しによって参加させられたそれは、当初、スクアーロには絶対に秘密にしてくれとお願いしていたことだった。

知られれば笑われるか、呆れられるか、断固として反対されるかだろうと思っていたから。

でも。現実は、小説より奇なり。

俺が腰を抱かれ、顎をとられ、写真を見るだけでもとても深く口付けてくるのは、銀髪のセクシー美女……に扮するスクアーロ様でした、と。

「燃やしたい……けど、もらい物を燃やすなんて失礼な気もするし……」

そんなこんなで結局手元に置いたまま。俺は今日もそっとページをめくるのでした。







そして、訪れる冬の日。

終わりの始まり。

始まりの終わり。

閉ざされた、最後のひととき。







「……やーめた」

パタン、と音を立てたアルバムは元のダンボールへと押し戻された。

そうだ。いつだって、そう。このアルバムを見つける度に。ページをめくる度に。

俺はこうやってまた奥底へと仕舞い込んでしまうんだ。

辛く悲しい記憶から逃げたいわけではない。それすらも俺の一部だと、今は納得している――つもり。

「っていうか、こんなことしてる場合じゃないし!」

ダンボールをクローゼットへと運びこんで俺は慌てて背後を振り返る。

「えーっと…本当に、何が必要で不必要なんだか……もう母さんに任せちゃおうかなぁ…」

後ろ頭を掻きながら、衣服や小物を散乱させてしまった部屋を見渡す。

懐かしくもどこかこそばゆい春が、もうすぐやってくる。

沢田綱吉、22歳。

もうすぐ、もうすぐ、俺は大学を卒業する。














青い果実のこれまでのおはなし。