俺とお前の魂の共鳴はいつまでたっても果たされない。
NO(一部抜粋)
耳障りな足音に吐き気がした。
胸を…肺を、二つの臓器を、口から吐き出してしまいそうな、嫌気。
蒸気を巻き上げて煮えたぎるような、熱を孕むハラワタ。
ああ嫌だ。なんという悲劇。
足音だけで、俺はお前を判別する。
案の定、俺が居座るこの部屋の前で立ち止まった無遠慮な足音は、ノックもせずに扉を蹴破った。
「ヴおぉい!いるかぁ十代目ぇえ!!」
「スクアーロ、相変わらず声が大きい」
扉と対面するように配置された執務机の上へ、見ていた書類をひらっと投げ置いて、俺は来訪者を迎え入れた。
仰け反るように椅子へと体重をかければ、音も発さずシートが俺の背を包む。
さすが、高級品は違う。
ぼんやりと足を組み替えていると、床を削り取らんばかりの力を持った足音が、ガツガツと遠慮なく近づいてきていた。
はいはい、どうどう、と息を切らす彼をなだめてみるものの、その程度で勢いが削がれる御仁ではない。
スペルビ・スクアーロ。特殊暗殺部隊ヴァリアー所属。
馬鹿みたく長い髪が、煌々と光り続ける電灯の明かりに反射して無駄に眩しい。
重厚な木製家具に囲まれた室内は、国籍も血筋も生まれも育ちも日本な俺を完全に無視して、ヨーロピアンな風を纏っている。
よって、スクアーロの面立ちや雰囲気はなかなかよく溶け込むのだ。
いっそ彫像でも造らせて置いてやろうかという悪戯心が刺激されたが、実行したところで叩き壊されるのが関の山だろうなぁ。
などと取りとめもないことを想像していると、視線を彷徨わせる俺に苛立ったスクアーロが再び唸りを上げ始めた。
まったく、これで暗殺者が務まるのだから、ボンゴレも摩訶不思議な組織だ。
……昔々のリング争奪戦で、唯一大空戦に参加しなかった彼がいたからこそ、ヴァリアーは存続を許された。
彼がボンゴレに留まり、服従を装って、屈辱に耐え抜いた賜物だ。
粘り強く、ある程度の根気もある。
目的のためには己さえ犠牲にしてみせる誇り高くも卑しい精神は……非常に好ましい。
「ヴおぉい!いい加減、話聞きやがれぇ!」
「ん?あーごめんごめん」
で、なに?
執務机に肘を付きながら、机越しに対面するスクアーロへ微笑んでやれば、額に青筋が浮かんで見えた。
血圧上がってるなぁ。
ほんっとうに。むかつく。
スクアーロを見ていると。
本当に。
本当に。
心の底から。
腹が立って、イライラして、たまんなくなる。
「だから、寝取ったって言うのかぁ……!」
正直に思ったことを言ってやったら、歯を噛み締めた眼前の男がとてもとても低い声音で凄んできた。
身震いが心臓のすぐ下あたりから生まれて、上下に、全身へと伝達される。
ぞくりと膨張する寒気として。
怖いわけではない。恐れているわけではない。
ただ、ぞくぞくと、高揚した。
「寝取ったって、人聞きの悪い。あれはあっちから誘ってきたんだけど?」
「そうかぁ……じゃあなんで、俺の愛人にお前がわざわざ会いに行くような必要があったんだぁ…!」
語気を荒げるのを必死に抑えているのだろう、握られた拳が、俺の執務机に向かって叩きつけられる。
とても、鈍い音を発しながら。
「別にわざわざ会いに行ったわけじゃない。偶然偶然」
「……その偶然、今回で何度目だと思ってる」
「五回目」
「……!貴様ぁ…!」
見せ付けるように殊更ゆっくりと口端を上げてやれば、面白いくらいにホイホイと釣れる。
この程度の挑発に乗ってしまうだなんて、なんて迂闊なんだろう、スクアーロ。
お前は本当に、何も見ていない。
何もわかっていない。
お前は、俺が何処にもいないと思っているのだから。
「ねえスクアーロ」
「なんだぁ…!」
心が、冷える。
「お前にとって、俺は空気と同じなんだね」
「……なにを言ってやがる!話を逸らすな!」
俺の真ん中から芽吹いた冷気は、瞬く間に根を張って、指先から毛の一本一本まで侵してしまう。
「俺はね、上辺の笑いより、刹那の慰めより、お前の真ん中が見たいと思っているんだよ」
渦巻く苛立ちも、傲慢な怒りをも押し殺して、俺は瞳に弧を滲ませて笑ってみせた。
極力、嫌味のない純粋な表情を意識して。
……お前が、この意味を把握して見せない限り、俺の呪詛と束縛からは解放されないのだ。
「意味が……」
理解しかねる、と言いたげに歯を食いしばるスクアーロの目は、怯えを隠そうとする獣のようで、おかしい。
コツコツと振り子を揺らす壁掛け時計だけが、空間に規則を生み出して、なんとか、お前を解放するに至るのだけれど。
「俺からは、今日はこれだけ。ね、そろそろ帰ってくれないかな?これから人と会う約束があるんだ」
もたれかかっていた革張りから身を起こせば、いっきに体重が腰に掛かって鈍い痛みが走った。
そういえば、お昼からずっと座りっぱなしで、既に三時間が経とうとしている。
適度に伸ばさなければ骨が変に曲がるかも、と思考を飛ばしながら、残ってしまった書類を指先で摘み上げた。
用のなくなった相手のことなど、完全に眼中から追い出して。
ペラペラと机上に落としながら枚数を数えていると、荒々しい開閉音の後に、地面を抉るのではないかと思えるほど乱雑な足音が遠ざかっていった。
世界に、静寂が帰ってくる。
板ごしに見送っていた綱吉がふと顔を机上に戻せば、机の端に銀色の糸のようなものが一本、しなだれかかっていた。
今にも吹き飛んでしまいそうな頼りなさに、できるだけ空気を震わせないよう手を伸ばす。
板上をなぞって引き寄せ、掬い上げたのは先の男の髪の毛で。
指に絡め、唇を寄せれば、肺を押し潰すような不快感とそれ以上の熱が身体中を満たしていく。
「スクアーロ……」
お前にとって、俺が何処にもいない存在なのならば、俺はこうして道化のように、残酷な笑みを湛えて現れることしかできない……。
両手を組み、額に押し当てて眼を閉じた綱吉の姿は、まるで敬虔の念が深い信者の祈りに酷似していた。
NO(一部抜粋)