PHANTOM 
for T



「どうした。食わねえんならそこらに置いとけよぉ。猫やら鳩やらがこぞって処理してくれるぜぇ」

「あ…うう……う、うーん……」

「なんなんだぁさっきから」

二手に分かれていた俺とスクアーロが無事合流し、目についた広場のベンチを陣取ったのが十分ほど前だろうか。

買ってきたベーグルサンドの包みを開いたのが七分前。

手に取って、いざ食らわんと口を開いたのが六分前。

それからだから、ゆうに約五分間。

俺はじっと固まったまま、まったく動けないでいた。

怪訝そうに俺を覗き込んだスクアーロは既に三口ほどかじってしまっている。

うーん。

だってさ、今更重大な問題に気がついてしまったのだ。

空腹で気持ち悪ささえ漂い始めた俺の動きを止めてしまえるほどの、重大で重要な問題に。

もうちょっと早く気付いているべきだっただろうか。

俺ってやっぱり抜けてるなぁ。

「あ、あのさ、スクアーロ」

「あ?」

「ちょっと訊きたいんだけど」

「もったいぶらずにさっさと言え」

「……スクアーロって、働いてるわけ?」

「――はぁ?」

ああ言葉にされずとも、スクアーロが言いたい次の言葉がよーっくわかる。

いきなり何言ってんだお前って、そんな顔してるもん。

ありありと表情に浮き出るほどの想定外な質問だったのだろうか。

いや、だってさ。

お金、だよ?

人間社会に流通しているお金だよ?

賃金を得るためには労働と引き換えだということくらいはいくらなんでも俺だって存じ上げておりますとも。

俺が今手にしている遅い昼食は、先ほど快活なおにいさんに、スクアーロから預かったコインと引き換えでいただいたものだ。

つまり、なんだ。

スクアーロはお金を持ってるってことで。

てことは働いてるって、こと?

そんな姿みたことないし!

第一、怪人だと言い張る本人が人里に降りて労働を?

―――想像し難い光景だ。

それに呼べばすぐに現れるし、何かと俺に構ってくれるスクアーロが仕事してる時間なんてあるわけないじゃん。

ならば、どうやってお金を?

考えられる方法、想像に易い手段は……あれっきゃない。

「そりゃ俺は働いたことないし、お金稼ぐなんてことまだ出来る度胸も知恵もないけどさ。だからって人様のお金で生活するのはいけないことだと思うんだよね」

「は?」

「脅したのか騙したのか盗んだのかはわかんないけど、今からでもこっそりでいいから返しにいくべきだと思う!そうじゃなきゃ俺今夜眠れる気がしないんだけど!」

「はああ?」

ベーグルを脇に置き、ポカンと口を開いたスクアーロへ向き直って手を伸ばす。

考えを改めさせなければ。

怪人、だとしても罪を犯すのはいけないこと!

人間ではないことを心の盾にして警察に届け出るのは考えないとしても、せめて償いを。

遅くはない。

いや、遅いかもしれない。

けど、贖えない罪なんてない、と思いたいんだ。

だから―――。





「――お前なぁ……勝手に俺を罪人にしてんじゃねえ!」





「いった!」





もう!今日何度目の暴力だよ!

硬く握り締められた拳が俺の頭上へと真っ直ぐに振り下ろされた。

明らかに加減された重みだったけど、痛いものは痛い!

「じゃ、じゃあ、なんでお金持ってんのさー!前も、訊くなって言ってたけど!」

無尽蔵に金が湧き出るとか言い出したら俺は真っ先によいお医者様を探さなければならなくなる。

「稼いでるわけでも作ってるわけでも、まして盗んでるわけでもねえよ」

「ど、どういう――」

そっと上目に様子を伺えば、グリグリと俺を押さえつけていた拳の動きが止まった。



「蓄えがある。それこそ、気が遠くなるほど大昔からの、な」

「蓄え?」



俺の頭上から拳を浮かせながら呟いたスクアーロは、ふ、と目を細めた。

まるで果てなく遠い何かを見透かすように。



あ。



なんだろ、これ。

チク、と。

細い細い針に貫かれたように、肺の辺りがチリリと傷んだ。



「それに、俺は元々食べたり飲んだりする必要がない。だから、お前が来るまではその金を使う必要もなかった」

「え?食事、してなかったの?」

「お前と同じものを食う必要がなかったってだけだぁ」

微かな間が、不穏な空気を含ませる。

意味を量りかねるところだが、スクアーロの言葉の裏側まで暴けるほど賢くないという自覚があるだけに、うまく返せる気がしなかった。

深く追求して正解を引き出せるほど、俺は器用ではないから。

なら、今ある情報だけで出来るだけ把握しなければならないということ。



つまり、なんだ?



「スクアーロにはめちゃくちゃ貯金があって、でもごはんを食べる必要がなかったから今まで使ってなかった、けど」

「お前が来たから、それを切り崩して生活するようになった、ってだけだぁ。食う必要はないが食えないわけじゃないからな」

俺の身体は。

そう続けたスクアーロは己の言葉を証明してみせるかのように手の中にあるベーグルを一齧りしてみせた。

いや、まあ、うん。

スクアーロが食事できるってことは、毎食同席しているから知ってるんだけど。

「スクアーロって」

「あん?次はなんだぁ?」

「スクアーロって、一体何なの?」

「それはまた、大雑把な質問だな」

くっ、と小さく笑ったスクアーロは残っていたベーグルをペロリと平らげてからゆっくりと俺を流し見た。

銀色の双眸がゆらりと揺れながら俺を捉える。

その虹彩が一瞬だけ、オーロラのようにぶれたのは気のせいなのだろうか。



「怪人って、どういう字を書くか知ってるかぁ?」

俺を覗き込みながら、スクアーロの両腕が俺を捕らえるように、囲うように、脇へ――背もたれへと付けられた。

追い詰められているような気分になるのは、何故。

「怪しい、人、でしょ」

「『怪しい人』か。そりゃいいな」

まるで不審者扱いだ、と吹き出したスクアーロは隠す素振りもなくクツクツと笑い始めた。



……違う。



なんだろう。

何かが、違う。

この笑いは、どこか不自然だ。

唇の端が微かに引きつっているように見える。

自嘲に似ているけれど、そうじゃない。

それよりももっと、暗くて深い、濃厚な哂い。

己を貶めるような。

自らを傷つけるような――。



音もなく。

すっと息を吸い込んだスクアーロはゆっくりと瞬きながら口端を吊り上げた。







「そう。人だ。――俺は元々、人間だった」



そこらじゅうにいる、ありふれた一人間でしかなかった。



常と変わらぬトーンで吐き出された声音。

けれど。

正面から俺を射止める瞳の奥は、かつて見たことのないほど、深遠に満ちていた。







「人間、だった?…スクアーロ、人間『だった』の」

音もなく腰を浮かせ、ベンチに腰掛ける俺の正面へ。


肩膝を地面に付いたスクアーロは再びこの身を囲うため、背もたれへ、腰辺りへと両の掌をつく。

座る俺と眼前で跪くスクアーロ。

俺が逃げ腰で猫背なせいか、はたまたスクアーロが規律に従順な騎士の如くピンと背筋を伸ばしているせいか。

向き合う視線はほぼ同じ高さでぶつかり合っている。

近距離で見上げる瞳から視線を逸らすこともなく――いや、逸らすという動きすら取れないまま、俺はふと零れた本音を唇に乗せていた。

『人間だった』

それは、流してしまうには重く、分かち合うには度し難い事実――のはず。

なのにスクアーロの言葉が俺の芯へともたらしたのは己さえも目を見開くほど平坦な『凪』だった。

スクアーロが人ではないことは、今まで共にしてきた行動や振る舞いによって理解しているつもりだった、けれど。

心のどこかで疑っていたのかもしれない。

なんらかのトリックで、俺の目を晦ませて――本当はなんのことはない、俺と同じ人間、で。

だってスクアーロの姿形はどこからどう見ても理解の範疇を外れることがなかったから。

俺に触れようと伸ばされる指先にはいつだってほんのりゆるやかな温度があった。

犬歯がやけに長いとか爪が異様に鋭いとか、そんな変化はひとつも見当たらず。

気配のなさと時折見せる破壊的な跳躍力だけがスクアーロの異常性を思わせていたけれど。

でも。

だって。

しかし。

やはり。

人間『だった』ということは、今は――今は、人ではない、ということなのだろう。



「人間じゃ、なくなった、ってこと?」

「ああ。外見は変わらないが本質が変わったからなぁ」

血の色が青いとかそういうんじゃないぜぇ?

にやりと笑んで茶化そうとする素振りさえ、今は俺の琴線を微動ほどにも揺らしはしない。

ただ、冬の寒風によく似た空気が肺の中を満たしていくような、揺らぎが―――。

いや、揺らぎとは、少し違う。

晒された寒さに凍りついて、動けないような。

そんな、波のない心の氷海がどんどん広がって、侵していく感覚が俺を支配する。

「まずは……不老になった。次に不完全ながら不死だと知った。ついでのように人ならざる体力と特殊な力をひとつ得た」

「ひとつ?」

そっと俺の両肩へ掌を置いたスクアーロはふと目線を俺の膝へと投げ落としてから、ゆっくり唇を震わせた。

「……魅了、って言っても、意味わかるかぁ?」

「その言い方って、俺のこと結構馬鹿にしてるよね?」

「ふん。気付けるくらいには頭回ってたのか」

するり、と肩から二の腕へと掌を滑らせたスクアーロは息を零すと同時に瞳を緩め、斜め下から覗き込むように首を傾げた。

伺い見る体勢で、俺を上目に見上げながらゆっくりと口端を吊り上げていく。

「お前にも一度使ったんだが……感度が良すぎて効きすぎたんだっけな」

「か、感度って」

スルスルと服の上を滑っていくスクアーロの掌は、とうとう俺の手首へと到った。

掌と腕の付け根。

骨がひっかかるようにして止まったスクアーロの指が、俺の手首にそって微かに力を込めたのを直接的に感じながらも、振りほどく理由を思いつかなかったが故にされるがまま。

受け入れるがまま。

きゅっと握られた両手首それぞれが、ドクリと脈打つのにそっと背筋が震えた。

「他者の目を晦ませ、意思を捻じ曲げ、生じた隙に己の思念を植え付ける。簡単に言えば強力な暗示だな。――お前を攫った時、問答無用で眠らせただろう」

「あ……」


あの時、か。

俺が家を飛び出した夜。

出会った白銀から発せられた一言は俺の脳へと鮮やかに焼け付いて。

瞬時に堕ちた意識が戻ったのは、三日後、だったか。

『眠れ』

たった一言に。

大きな月と見紛うほどの鮮烈な輝きを前にして。

……ああ、そうか。

美しさに目が眩み、入り込んできた言葉の全てを意識が理解する前に身体が受容してしまった、あの現象は。

「魅了…」

「不思議に思ったことはないか?町に住む人間どもが、歌に存在する不吉な黒の館があることに疑問も恐れも抱いていない現状を」

町のどこからでも見える位置に聳え立つ丘の上の、木々に囲まれた不気味な館。

真黒のそこに人を喰らうという怪人が住みついているという歌は、世間をよく知らない俺ですら知っている伝承だった。

「壊すことも封じることもせず、何の疑問も興味も抱かず、悪戯半分に訪れる者もない現実を疑ったことは?」

言われてみれば、そうかもしれない。

現状は危ぶむほどにおかしい。

歌や伝承を信じる人がいないにしても、悪戯心を擽られるままに遊びの範疇で近付く子供もいない、というのは無関心が過ぎるのではないか。

それを大人が禁じているにしては、封鎖や立ち入り禁止を呼びかける物のひとつも見かけないのは異様。

まして館を覆う森は昼間でも薄暗く、子供らが立ち入るには危険を伴う。

なのに、阻むことすらしないのは、何故。

「……今気付いたって顔だな」

「そ、れは――そうだけど。でも、俺、あんまり外のこと知らなかったから」

スクアーロから指摘されなければ、ずっと気付かないままだったかもしれない。

自然なことと受け入れて、見逃していくほど、自然に溶け込んだ異常だから。

「でも、じゃあ、なんで」

「さっき言っただろ。目を、晦ませると」

じわりと瞬いたスクアーロの瞳は、陽炎とオーロラを混ぜ合わせたみたいな色をしていて。

思わず呼吸を詰まらせるほどに、俺の心臓を収縮させた。

……なんてことを言ってのけるのだろう。

魅了。

目を晦ませて、他者を従わせるのだと。

じっと俺を見下ろすスクアーロの眼差しは、今まさに俺を貫かんとする大きな氷柱のよう。

冷ややかなのに、秘められたエレルギーは決して冷たくはない。

そこに嘘も見栄も虚実もないのだろう。

――いや。

だからといって。

「町の人間、全員なんて……何人いると――」

町に住む人々全てが疑問を抱かないというのなら、それは、スクアーロの力が全員に効力を持っているということ。

だけど、そんなことって――。

「それは少し違う。町の人間という縛りではなく、町に踏み込んだ人間、全てだ」

目を見張って否定を漏らそうとした俺の言葉を遮ったのは、それすら覆いつくすほどの範囲だった。

ありえない、と切って捨てるには確証の足りない現実がここにある。

「そうしなければならなかった。そうせざるを得なかった。……全ては俺のエゴの為に」

握られた手首に熱が宿る。

グルリと手首を回るスクアーロの指が、意を決したかの如く密着したからだ。

カチリとかみ合った視線は外すことを許されない。

けれどそこに、『魅了』の光はいつまでたっても宿る気配をみせなくて。

ゆらゆらと波紋を撫でるかのような、水面の瞳。

「捨て去るべきだった微かな可能性を、手放せなかったが、故に」

全身全霊をかけて、己を囲う環境から存在を晦ませた。

空気と成り果てるよう。

何者にも悟られることのないよう。

孤独を代償に、血塗れの舞台に幕を降ろした。



引き絞った唸りによく似たスクアーロの訴えに、俺の内側はズクズクと痛みを増していく。

何を、感じ取っているのだろう。

意味などわからないはずなのに。

肺が痛い。

腸が痛い。

指先が、芯の方からビリビリと痺れにも似た痛みを纏う。

スクアーロが背負うものを、何一つ知らないはずなのに。

何故――今、こんなに。

「あの日、告げられなかった答えを伝えるためだけに」

目が、心臓が、肺が、骨が、身体の内側の全部が――軋むように熱いのか。



「気付いていたはずだった。けれど見ないフリをした。否定することでしか、俺は俺を保つ自信がなかった、から」

途切れた語尾に合わせて、スクアーロは懺悔の如く頭を垂れた。

サラリサラリと耳の裏から零れ、肩を滑り落ちていく銀髪は滝を流れる清水のよう。

傾き、熱と輝きを増していく太陽に照らされて鋭く輝く様が不覚にも綺麗だと思ってしまった。

俺の前に跪き、肩を落として背を丸めるスクアーロの姿は、罪を嘆く聖人を俺に連想させる。

聖人なんてガラじゃないのに。

触れて、抱き締めて、もういいからと動きそうな衝動を眩い現実が圧し留める。

悲痛に臨む彼の姿を見ていられない気がして。

「叩き落された後悔の海で、俺は俺のエゴを選択した。だから――」

制止のために動かそうとした指がピクリと震えて静止した。

ゆっくりと引き上げられる銀の瞳。

外気に馴染ませるようじっくりと瞬く瞼。

引き結ばれた唇の端は微かに下がり、俺の心の琴線を叩いた。

瞳の奥底で鐘が鳴り響く。

「百年の孤独も、この先に待つ地獄の扉も、忌々しい呪縛にも、感謝を捧げたっていい」

この手に至福を抱くのが、一瞬だろうと構わない。

真っ直ぐに告げたスクアーロの肩がひとつ、大きく上下する。

俺には阻めない強い決意をそこに見たような気がして。



ディンドン。

それは時を告げる?

それとも全ての祝福を願う?

もしくは警戒をもたらすための?

二の腕がじくじくと縮みあがるような感触に苛まれる。

悩ましい傷み。

これは、なんの予感なのか。

彼の言葉を聞いてはいけない。

どうして?

だって、きっと、俺は、多分。



どこからかもたらされる自問自答。

纏まりを見せない思考に溺れる俺を掬い上げるかのように、手首を掴んでいたスクアーロの掌が指先へと滑り降りた。

じわりと伝わる熱。

騒ぎ立てる血の脈動。

そっと引かれた指はスクアーロの手の中に収められ。

晒された手の甲は、受け皿となる。

拒絶に跳ね上がることも、驚愕に強張ることも忘れた、無防備な――いや、きっとそうじゃない。

俺は。



















「お前を愛してる」























ディンドン。

鐘が鳴る。



そっと俺の手の甲へと落とされた、かさついた感触。

なだらかな曲線。

浮いた隙間を撫でた吐息は熱く。

瞬間、呼吸を忘れた俺の目尻を滲みあがる熱が支配して。

「っ……」

溢れ出た呼気に唇が痺れた。











ひゅ、と喉の奥へ沈み込んだ空気の冷たさに背筋が竦む。

冴え渡る意識が惑いに逃げることを阻むように。

動揺は……してる。

言われると思わなかったから。

きっと、言葉にしてくる人ではないと……勝手に思い込んでいたから。

と、考えるということは、少なからず俺はスクアーロに好かれていると自覚していたのだろうか。

……それはそうだ。

だって、スクアーロが仕掛けてくる口付けは、とてもとても―――。



無意識の内に引き上げた指先が自分自身の唇にそっと触れた瞬間。

背を叩くが如く、ビリビリと空気を揺らして一際大きくディンドンと鐘が鳴り響く。

ぼんやりと物思いの水底に足を伸ばしていた意識が、水を掛けられたように叩き起こされ。

「っ!」

「……きたか」

ビク、と全身を震わせた俺の眼前で、遠く、町の中心にそびえる巨大な時計塔へと視線を流したスクアーロは揺らめくようにゆったりと腰を上げた。

握られていた掌が、スルリと解ける。

(あ……)

重力に従ってぽとりと膝の上に落ちた自分の手の甲を眺めて――俺は何故かとてつもない虚無感に襲われた。

何故。

どうして。

ぽっかりと浮かび離れるように。

何かが抜け落ちてしまった、だなんて感じるのだろう。

何故、名残惜しさ、なんて。

ただ手が離れただけなのに。

「ツナ」

「ぁ……あ、うん。何?」

「……ぼんやりするのもいいが、そろそろ戻るぞ」

「へ?あ、うん。構わない、けど」

いやに唐突。

頭上に降り注いだ声に反応し、パッと顔を上げた俺をいぶかしんだスクアーロの間も、なんだか言葉を飲み込んだように思えて。

俺を立たせるため、急かすために向けられた背もどこかそっけない。

―――愛してる、なんて、言っておいて―――。

……あれ?

そういえば俺、告白、されたんだよね?

告白……こく、はく?

(う、うわぁあああ…!)

すごく今更。

平静の中に宿る波紋。

俺って鈍いのかな。

スクアーロの言葉の意味が、やっと脳まで到達した感じ。

そうだ。俺、告白されたんだ。

――どうしよう。

どうなっちゃうんだろう。

俺のことを好きだと言ってくれる人が、いるだなんて。

いや、同性だけど。

恋愛対象であるはずのない相手、なのだけれど。

それでも。

愛されていると、愛していると、告げられ、思い知らされることのむずがゆさったらない。

眩暈のような眩みは眩すぎる日差しのせいだろうか。

それとも……身体を這い、引き絞る熱のせい?

ああ、熱い。

スクアーロの告白を自覚した途端、頬がカァっと火照り出したのを感じ取ってしまった。

どうせなら気付かないでいたかったのに。

顔が、耳が、絶対赤くなっているとわかってしまうと、余計に意識してしまうじゃないか。

「う゛お゛ぉいどうしたぁ!気分でも悪いのかぁ!?」

「え!?う、ううん!なんでもない!戻るんだよね!」

「ああ……本当に大丈夫かぁ?」

あれやこれやとグルグルし始めた思考のままに頭を抱えて俯いていた俺を振り返ったスクアーロは、何ごとかと俺の顔を覗き込もうとしてきた。

それを阻止するために顔を上げて否定してみせた、は、いいんだけど……そんなにすぐさま顔の赤みが引くなんてことあるわけなくて。

心配をかける、というのも気が引けるが、俺の焦りの要因はそこにはない。

「ほんとに大丈夫だから!それよりなんでそんなに急いで戻らなきゃいけないのさ?」

考えてもみろ。

こっ恥ずかしいじゃないか。

言われてすぐ反応するならともかく、ソレをソレと気付くのに時間がかかって、今更照れて動揺してます、なんて。

知られたくない。知られるわけにはいかない!

勘付かれて、今すぐの回答を求められでもしたら……ああ、考えられない。

かき回された俺の思考では、自分の気持ちと向き合う余裕が皆無だから。

今は、今すぐは、何もない風を装わなければ。

追求されないために。

少しだけ、時間が欲しいから。

身勝手だとはわかっているけれど。

だから、無理矢理感が漂う所だが、話題をぐいっとそらしてみた。

「見てみろ」

俺から顔を逸らし、肩ごと背後を振り返ったスクアーロは顎で俺の視線を促す。

傾く陽光。

眩さを増した空の白。

深緑に抱かれた丘の先は、俺たちが目指すべき――。

「え」

まるで守りを失ったかのように。

屋根から外壁を伝い、ざらざらと崩れ落ちる、黒。

砂が館全体を滑り落ちていく様を連想させるようなソレは、何が起こったのか俺の脳が理解する前に全て落ちきって。

残されたのは……見たことのない姿。

俺が知っている館は、煤で薄汚れたように黒く染まった有様。くすんだ印象を受ける黒。

けれど。

今、遠く、丘の突端で支配を掲げている館は真黒。

後付の要因ではなく、もとより黒として造られたと一目瞭然の在り方。

夜の闇より深く、奈落の底を思わせる、真正の黒。

「なんで、いきなり」



「俺の力が途絶えたからだ」



頭上でぽつりと呟かれた言葉に思わず顔が引き付けられた。

その、瞬間だった。







「……なに、あれ…!」

「どうして急に…!まさか、昔話の!?」

「馬鹿な!さっきまで何もなかったじゃないか!」

「どういうことだ!不気味な――」







ざわざわと周囲がざわめき始めた、と思ったら、水面を走る波紋の如く瞬く間に町全体が動揺に包まれたのだ。

皆一様に、俺たちと同じ方向を向いたまま。

「何?何事?」

「さっき言っただろ。俺の力が途絶えた。……厄介なことになる前に戻るぞぉ」

「力が途絶えたって、何の……目晦まし、の?」

「全ての人間の目を欺くために仕掛けておいた外壁が俺からの力の供給を失って崩れ落ちやがったんだぁ。――時間がない。行くぞツナ!」

早口にまくしたてたスクアーロは瞳だけを左右に振り、辺りを見回してから再び館を見据える。

加えて、器用にも後ろ手に俺の手首をグイっと引いてみせて。

力のベクトルを持っていかれた身体をよろめかせれば、スクアーロの身体が俺を支えるように近付いた。

ぽす、と受け止められ、腰に腕を回され……もう、何もかもされるがままだ。

というか、思考が追いつかない。

力が途絶えた?

供給を失った?

それってどういうこと?

スクアーロの常にない焦りようから言って、館を隠す必要がなくなったわけじゃない、はず。

今まで見えなく――否、気付かなくしていた館は、この町に伝わる昔話、歌のままに真っ黒で。

ついでに言うなら鐘が鳴った直後に現れてしまったわけで。

いくら忘れられかけていたとしても否応なく思い起こされる歌がある。

『ディンドン鐘の鳴る頃に』

彼が、人を、攫うのだと。

偶然か必然か、鐘の音が町全体を包み込んだ後、突然館が現れたように見えてしまったのだとしたら。

ああ、俺にだって簡単に想像できることだ。

急激な緊張感は冷静さを奪う。

『ない』ものを突如認識してしまえば、警戒心を過剰に煽るだけなのだから。

スクアーロの平穏を守るためには館は永遠に隠しておかねばならなかったはず。

だから、スクアーロが望んで力を途絶えさせたわけじゃない。

ならば。

……ならば?

「う゛お゛ぉい!だから!ボーっとしてんじゃねえぞぉ!掴まれぇ!」

「は!?うおおえええ!?」

まるで荷物。

米俵よろしく肩に担ぎ上げられた俺は手足をばたつかせる間すらも与えられずに。

今までの展開を整理しようと巡らせていた思考を無残に引き千切りながら。

スクアーロ自身に対する目晦ましはまだ有効なのか。

ぐっと踏み込み、地面を蹴ったスクアーロの人外じみた脚力によって、二人の身体は森に向かって一直線に飛んだのであった。



(ああ、そういえば…)

いまだに熱の引かぬ頬は赤く染まったままなのか、と。

スクアーロに運ばれながら、こんな熱早く引いてしまえ、と大きく揺れる鼓動を恨んで両手で顔を覆ったのは、スクアーロには秘密。





























「やっぱり、見間違いじゃないみたいだね」

スクアーロとツナが飛び立った直後。

ベーグルが入っていた紙袋だけが取り残されたベンチに歩み寄る影は、常人が見ても判別出来るほど艶やかな上質の生地で仕立てられた黒のスーツに身を包んだ――青年。

「まったくもって面倒……だけど、いい暇つぶしにはなるかな」

肩に小鳥を乗せた彼はふと瞼を伏せた。

風に溶けるほどのささやかな独り言を紡ぎながら、内ポケットから取り出したのは二つ折の携帯電話で。

微かな動作で呼び出した相手に向かって、尊大に顎を開きながら。



「聞こえているかい獄寺隼人。君が探している『オヒメサマ』の居場所、知りたいとは思わないかい?」



さも楽しげに、黒髪を風に遊ばせながら、口端を弧に吊り上げたのだった。