PHANTOM for T



「………」

「あ、スクアーロ。…なにしてんの?」

「それはこっちのセリフだぁ!」

背中から吹き付ける風がふいに薄くなったなぁと思ったら足元に影が差して。

見上げるように後ろを窺えば、脇に本を抱えたスクアーロが突っ立っていた。

背後から押すようにぶつかってくる風のせいで自慢の髪が四方に舞い上がっている。

「姿も気配もないと思ったら、こんなところにいやがって。どうやって登ったんだぁ?」

「ハルとキョーコを追いかけていったら天井裏に続くはしごを発見いたしました」

「あー……もういい」

余計な入れ知恵しやがって。

小さく舌を打ちながらスクアーロは俺の足元へと視線を落とした。

膝を立て、いわゆる体育座りの体勢になった俺の膝裏。

風を避けるように身を寄せ合って器用に入り込んだ二匹はスクアーロの気配の揺らぎに対してひと鳴きずつ。

小馬鹿にする雰囲気を十二分に湛えた声は随分間延びしながら、俺の膝裏から抜け出していった。

「てめぇ…」

「俺!?」

「お前じゃねえ!」

どけ、と首根っこ…というか、襟元を摘まれ、持ち上げられたのは俺。

拍子に現れた二匹の白黒は寒さにぶわっと毛を逆立てた。

「そんなにへばりついてんじゃねえ!」

「なーん!」

「え、ぎゃ、ぎゃあああああああ!?」

ぽーい。

なんて可愛い擬音がついてもおかしくないほど軽やかに。

スクアーロの振りかぶった手が黒の首根っこを掴んで…投げた。

緩やかな弧を描いて落ちていく黒い物体。

………。

いやいやいや。

あれは、紛れもなくハルだ!

「な、なななななにすんのさ!」

「あの程度じゃ死なねえよ」

「うそ!だってここ……屋根の上だよ!?」

街を一望できる高台、丘の上に聳え立つ館。

高みから見下ろす魔王を連想させる黒の館。

その本館、黒で埋め尽くされた屋根。

それが俺たちの現在地だ。

屋根裏からボコリとコブのように突き出た出窓から降り立ったものの、下を見る勇気はないという高さ。

五階建ての上に、丘の中でも切り立った部分に面しているから……落ちたら間違いなく死ぬと思うんですけど。

「落ちるったって、崖になってる部分までは見た目より距離があるから、そこらに生えてる木に引っかかって終いだろぉ」

「いや、でも、それにしたって高いよ!?」

「猫は足のバネやら身体能力やらが高いから大丈夫なんじゃねえのかぁ?」

「ねえのかって、確信ないのに投げたの!?」

これで死んだらそれまでってことだろぉ、と平然と宙に視線を投げるスクアーロはまるでこれが日常だとでもいうように右耳に指を突っ込んでいる。

動物保護団体に知れたら間違いなく非難の的だ。

……おかまいなし、なんだろうけど。

「っていうか、そろそろ離して……」

「ん?ああ。いや、お前もこうやって捕まえといた方が手間が省けていいかも知れねえなぁ」

「ペット扱い!?」

地面に降ろされてはいるものの、襟を後ろからグイーと引っ張られている状態はなかなかに苦しい。

声を発することは出来るけれど、空気がつっかえる感触が胸をふさぐようで。

「大体、俺がどこにいてもスクアーロはすぐに見つけるからいいじゃん!」

「そうじゃなけりゃ今頃首輪つけて居間に括りつけてるところだぜぇ」

普通の人間のくせに、妙な所をちょろちょろしやがって。

片眉を器用にしかめ、呆れるように長い長い溜息を吐いたスクアーロは、俺の後ろ襟を摘んだまま出窓へと進路を取った。

遠慮の欠片もなしにぐいぐいと引っ張るものだから身体が左右にぶれる。

「ちょっと、まって、スク、アーロっ、し、しまる…!」

「あん?」

苦しさが募り、思わず手を伸ばして掴んだのは、数本の銀髪で。

じわじわと絞まっていく首に反するが如く、俺の腕はおもいっきり力を込めてそれを引っ張ったものだから。

「――ったぁ!」

「あ……抜けた」

「『抜けた』じゃねえ!抜いたんだろうがぁ!」

ピタ、と足を止めたスクアーロは髪を振り乱して勢いよく俺を振り返った。

うっすらと潤む目を見る限り、地味なりにダメージを与えてしまったようだ。

いや、でも、俺は悪くない、こともないけど、スクアーロにだって非はあるわけで。

「えーっと、ごめんなさい?」

「……お前の気持ちはよーくわかった」

ぴくん、と引きつるように吊りあがったスクアーロの口角。

やっぱり語尾が上がってしまったのが悪かったかな。

でも、でもさ。

なんでもかんでも俺ばっかりが遠慮するのはよくないじゃん?

館の中で会える人っていったらスクアーロくらいなんだし。

攫われた身、いつ食われるとも知れない身だけど、出るとこは出ておかないと。

だから、今回は引かない!

「お前がそういう態度とるっつうんなら………俺にも考えがある」

言うが早いか、スクアーロの腕が瞬時に俺の腰へと回り、掬い上げる。

え?という声を上げる間も与えられず、俺はスクアーロの右脇へとセットされてしまった。

左脇に本を、右に俺を。

抱えた状態で……クルリと回れ右。

……あれ?

なんか、歩き出したんだけど。

「あの、スクアーロ?」

「なんだぁどうしたぁ文句は聞いてやるが聞き入れてはやらねえぞぉ」

「……う、うわー!!!マジでぇええええ!?」

ズンズンと歩幅を大きく取りながら歩むスクアーロの先に待ち受けているのは、宙だ。

正しくは、何もない。

何も待ち受けちゃいないのだ。

緩やかな傾斜を滑るように、踊るように進むスクアーロの目的なんて目に見えている。

だって、前例は数分前に眼前で飛んでいったのだから。

「俺は確実に死ぬよ!?や、ややややっぱり殺す気だったんだー!」

「心配するなツナ。落とすんじゃねえ。下に降りるだけだぁ」

「それが落とすってことなんだと思うんですけどー!」

俺の意見に耳を貸す気などさらさらない、と言いたげな顔でニヤリと笑んだスクアーロの勢いはまったく衰える様子もない。

やばい。

どう考えたって、こんなところから放り出されれば俺は確実に、100パーセント死にますけどどういうこと。

もはや悲鳴も出ず、口をパクパクしているうちに、眼前は俺を招き入れるように開いていて。

「今日は天気がいいな」

「そ、そうだね本日はお日柄も良く――」

「見合いの席かよ。ちょっとは落ちつ」

け。

け、だ。

『け』って言った瞬間。

離されまいと、腰から腹に回ったスクアーロの腕にしがみついたとほぼ同時。

「ぎゃっ―――!?」

腕は、離されなかった。

首根っこを掴まれて、放られることもなかった。

けど。

スクアーロの右足が、トン、と屋根を蹴ったかと思うと……スクアーロごと。

俺を抱えた腕ごと、視界が下へと傾いでいったのだ。

まるでジェットコースターの先頭で、天辺から落ちていく最高潮の恐怖を味わうが如く。

なだらかな曲線を感じながら、俺の身体は宙を舞ったのだった。







「っ――――!」

声無き絶叫が喉の奥底から飛び出していくのを他人事のように感じる意識と共に。

迫る地面を見開いた目で凝視しながら俺はただただ必死にスクアーロへしがみついていた。

風が頬を抉るような感覚。

投げ出された足の不安定さ。

全身を覆う冷気の波。

「風はちょっと冷たいか」

瞬く間に近付く地面を目前に、平然と呟くスクアーロの声が微かに聞こえたけれど、この状況で何言ってんだ、とツッコミを入れる余裕などとうに消えうせていた。



グイ、と一際強く持ち上げられた直後、ビリビリと響くような振動が全身を駆け抜けた。

咄嗟に瞑った瞼の奥底がチカチカと明滅を繰り返す。

息が上手く継げない。

死んだ?

俺、死んだ?

スクアーロと心中?

ありえない。

いや、ありえるけど。

考えたくないんだけどそんな状況!



常より倍以上に感じられる鼓動が全身を研ぎ澄ませるように巡り、俺は1、2度咳き込んだ。

微かに痙攣する瞼を上げるには多少の勇気を必要とする。

身体が痛む様子は無いから、もしかしたらここは死後の世界かもしれない。

ぐるぐるとネガティブな思考を働かせながら、ぎゅっと歯を食いしばってみる。

すると……パッと。

俺の身体を掴み、支えていたものが俺を振り落とすように投げた。



「あいた!」

「ほら見ろツナ。あいつ、やっぱり生きてやがったじゃねえか」

うっすらと開いた瞼の隙間から覗くスクアーロの指先は、数メートル先の黒い毛並みを指していた。

ああ、なんとなくわかる。

あれは、ハルだ。よかった。無事だったのか。



――って。

それどころじゃないことないけどそれどころじゃない!!

降り立った先は、館の傍、様々な石を組み合わせて舗装した館を周回する道の上だった。

尻から落ちたものだから、地面とモロに接触した骨盤が共鳴するように痛む。

酷い。

「スクアーロ……投げないでよ」

「ん?なんでそんなとこで座ってんだお前」

「スクアーロが!投げたから!」

「離しただけだろ」

さっさと立て、と伸ばされた掌。

常ならばふてくされて頼らないところだけど、今は使えるものはなんでも使ってやりたい気分だから遠慮なしに右掌を叩きつけてやった。

……特に反応もなく引っ張り上げられてしまったことが、ちょっと癪なんだけど。

「どんくせえなぁ」

「そんなことありませんー」

「俺が人間じゃないって、お前知ってるだろぉ」

「だけど、どんなにすごい人でも獣でも、高い所から落ちたら死ぬって思うじゃん!」

「そう易々とお前を殺すわけないだろうが。落ち着いて頭を使いやがれ」

「そんなの、わかんないもん!いつ気が変わるかわかんないし!もう、知らない!」

ふん、と鼻を鳴らして左向け左。

俺も悪かったかもしれないけど、こんな形の仕返しなんて酷いしずるいじゃんか。

全然抵抗も対抗も出来ない。

そんな風に俺を抑えつけておきたいなら……いっそ閉じ込めておけばいいじゃないか。

何がしたいのか、何を考えているのか、いまいちよくわからないし!

勝手だし!

どこから現れてるのかわかんないし!

すぐいなくなるし!

口悪いし!

捻くれてるし!

優しいけど!

世話焼いてくれるし、構ってくれるようになったけど……って、褒めてどうする俺!

あーもう、知らない!



ムっと唇を歪めながら、スクアーロに背を向けて歩き出す。

力強く、怒りを表すように、足音をわざと立てるために、一歩。

ここで一発ガツンとわざと鳴らして、感情の波を示してやれば、スクアーロも少しは悪いことをしたと思うだろうか。

勢いに任せた微かな期待を抱いて、浮き出た石に踵を叩きつけ――た、途端。



「え」

「あ」



ガクン、と右肩が下がった、と思った次の瞬間に、俺の身体は再び宙に放り出されていて。



「そうだ。この辺は脆くなってたから修理しなけりゃならねえんだったな」

「うおええええあああああああ!?」



あんまりだ。



しまった、と口を開いてひきつったスクアーロの表情を最後に、俺は空洞になっていた石畳の下へと、瓦礫と共に落ちていったのだった。