PHANTOM for T
「あが!」
「う゛お゛ぉい!死んだかぁ!?」
「よりによってそんな訊き方する…?」
落下すること数メートル。
『それなり』程度の高さだったおかげか、俺の下敷きになっている瓦礫は所々砕けて元の規則正しい四角が見る影もなかった。
うう……背骨も足の筋も体内で共鳴するように痛むし、膝も肘も掌も赤く擦りむけてヒリヒリする。
ともあれ、命があるのは奇跡かはたまた必然か。
右足首がツキンと痛むものの、折れてしまった様子は……おそらくない。
骨なんて折れたことない。ゆえに!折れたかどうかなんてわかりっこない!
本やマンガで読んだことがある程度の知識しかないから、あてになりやしないけど、左足は生きてるから立てないこともないし。
まあ、いっか。
「スクアーロ!俺、どうしたらいいわけー!?」
身体のチェックを一通り終え、唯一の光源である頭上へと視線を上げた。
ぽっかりと穴の開いた天。
石と石が重ねられ、舗装されたトンネルのような丸みを帯びる天井。
瓦礫が積み重なる床はこれまた石畳、だったが、地上のものと比べるとやや乱雑な感を得る。
石の大きさはバラバラで、統一性が見えない。
作り手がせっかちだったのか、はたまたわざとそうしたのか……意図は掴み辛いが整えられた感が薄いのは確かだった。
どこからともなく吹き抜ける風は冷たく、日の光が届かない先は真っ暗で何も見えない。
左右へ伸びる通路の先は、己さえ見失いそうになるほどの暗闇。
ここは……どこなのだろう。
「そこは……地下通路だな。また厄介な所に落ちやがって」
顎を開いて見上げた先には、髪をダラリと垂らしながらこちらを見下ろすスクアーロの顔が覗いている。
ぐっと歯を噛み締めるような仕草に、常にない焦りを垣間見た気がしたけれど……そんなわけ、ないよね。
付き合いはまだまだ浅いけど、俺が知る限りのスクアーロは怪人だからという無理矢理な理由でなんでもしてしまう変人だもん。
さっきだって、屋根の上から飛び降りたんだし。
「とりあえずスクアーロも来てよ。なんかここ、寒気がすごい」
先ほどから奇妙なほどに背筋が震えて仕方がない。
手足は暖かいままだし、身体が冷えた感触もないのに……臓腑から巻き起こっているかのように身体が震える。
肌は粟立ち、曖昧に口を閉じれば歯がカチカチと鳴ってしまいそう。
なんだろう。
何かを、感じる。
「……無理だ」
「へ?」
「そこには降りられない」
何言ってんの!というツッコミすら忘れて、俺はスクアーロを凝視した。
何を言うか。今更。
屋根からだって飛び降りるし、神出鬼没だし、怪人だし。
なんでもするじゃん。なんでもできるじゃん。
なのに……ここには降りてこられないって……。
「どういうこと!?」
「っ――とりあえず、左に進め。壁に手をついて行けば歩ける。しばらく行ったらでかい扉に突き当たるはずだから、そこで落ち合おう」
何かを言いかけてやめたスクアーロは、一度唇を引き結んでから俺へと指示を飛ばした。
ふ、と細まる瞳の光はどこか鋭く、遠めからでも真剣さを孕んでいることが見て取れた。
……いや、いやいやいや。
そんなことって!
一人で、この真っ暗な中を突き進めってこと!?
「なにそれ!本当!?本気!?」
「ロープを持ってきてもいいが、お前、登れる自信あるのかぁ?」
「…………ないです」
そりゃないですとも。
生まれてこの方、運動神経が研ぎ澄まされたことなんてないもん。
もっと言うと、『まるでダメ』。
体力に対する自信は皆無と言い切れる。
「急いで行ってやるから……お前はゆっくり歩きゃいい」
迎えに来てくれる気があるだけマシ、と考えるしかないだろうか。
いやでも、おかしいじゃないか。
屋根から地面はオッケーでここはダメって、なんでだよ。
「言いたいことは大体わかるが、説明は後だ。わざとらしくふくれてんじゃねえ!」
わざと頬をふくらしたことでスクアーロが身を乗り出して語気を荒げた。
わざとって、なんでわかるかって?
そりゃ両頬だもん。全力で膨らせてるもん。当然といえば当然。
こっちだって、意図的なんだってわからせるためにやってるもん。
……でも、本気で怒っているわけじゃないってのは、わかる。
多分、俺の不安を和らげるためにスクアーロもわざと大きな声を出したのだ。
「ついでにこいつらも連れてけ!」
「ほぎゃ!」
ぽい、と投げつけられたソレは、真っ直ぐ俺の顔面へと落ちてきた。
ああこの感触。
なつかしいというにはあまりにも最近過ぎる、デジャヴ。
「ハル!ちょっ!爪立てないで!」
頭にしがみ付くハルを両手で抱えて剥がし、そっと地面に降ろす。
あーもう…毎度毎度、なんだってこんなに必死に抱きついてくるんだか。
「みゃーお」
「…ん?あれ?なんで」
「俺たちが飛んだ後に、そいつも追って落ちて来てただろうが」
「そ、そうだっけ?」
自分の落下に気を取られて気付いていなかった、のか。
ハルを降ろした手に擦り寄ってきた毛並みはしとやかな白猫のものだった。
八の字を描くように、腕へと身体を摺り寄せてくる。
「そいつらがいりゃあいくらかマシだろぉ!おら!俺も急ぐからさっさと歩けぇ!」
「はーい」
さっと立ち上がり、背を向けたスクアーロは顔だけ振り返りながら俺が動き出すのを待っている。
まあ確かに、二匹が一緒にいてくれるのといないのとでは心境の差は歴然だ。
猫とはいえ、その存在に助けられる。
「絶対来てよねー!」
「わかったから……手を振るなぁ!」
怖いんじゃねえのかよ!
叫びながらもスクアーロは館の方へと姿を消した。
怖いさ。ああ怖いさ。
けど……二匹が一緒にいてくれるし、スクアーロも、ちゃんと来てくれるってわかったから。
眉間の皺が深かったのも、きっと心配してくれてる証でしょ?と勝手に思い込んでおこう。
「うん。行こう。来てくれるし。絶対来てくれるし」
うんうん。うんうんうん。
自分に言い聞かせるように何度も頷きながら、俺は勢いを付けて立ち上が――。
「ぎゃっ!」
ろうと、した瞬間。
一歩踏み出した足は積みあがった瓦礫をしっかりと踏みつけたけれど、力の加わり過ぎた瓦礫はゴロリとずれて、転がって。
「うええ…」
「みゃーお」
「なーん」
思いっきり顔からこけた俺を、白と黒のコントラストが両側から覗き込んできた。
「……なんか、もう、やだ」
嫌な予感と先行きの不安ばかりを抱えながら、滲む涙を必死に堪えるしかないのだった。
ひとつ、またひとつ。
階段を下る足音が反響し、幾重にも折り重なって拡散する。
そのリズムは一定ではなく、時に淀み、時に加速しては塔内を駆け巡った。
「くそ……」
カツカツと細かく刻まれていた足音が唐突に止んだかと思うと、身体が壁を叩く鈍い音色が辺りを打つ。
点々と等間隔に据えられたランプの橙の光が、彼の影を緩く伸ばしながら揺れる様は、まるでその存在が霞んでいることを示すようで。
「くそ、がぁ……!」
石組みの連なる壁に右の拳を打ちつけ、左の拳を己の胸に叩きつけながらスクアーロは歯を食いしばった。
一歩一歩、階下へと近付くたびに湧き上がる脂汗が服の下を滑り落ちていく。
油断すれば震えだしそうになる指先が憎くて、拳を解けないでいる自身に吐き気を催すように。
今にも閉じてしまいそうな瞳をこじ開けて、スクアーロは進むべき先へと目を凝らす。
バラバラと肩から前へ流れ落ちてきた髪を払いながら、また一歩。
「まだ、膝を折るには……早すぎんだろぉ」
拳で壁を叩き、何かに耐えるように息を切らしながら、地下へと歩みを差し向けた。
「う、わぁ……うわぁ!暗い怖い暗い怖い!キョーコ!ハル!ちゃんといる、よね!?」
「なーん」
「みゃーお」
しっとりと湿気を帯びる壁に手をつきながら、俺はゆっくりゆっくりと足を進めていた。
一寸先は闇。
何かの本で見かけた言葉が脳裏をよぎる。
一寸がどのくらいの距離なのかは知ったこっちゃないけど、一寸どころか1ミリ先も見えない気がするのは……気のせいだ。
そうだ。気のせいだ。
なんとなーく、薄ぼんやりと見えるようになってきた、ような気がし始めたから。
……そう思いこまないと足が竦んでしまう。
せめて、せめて懐中電灯とか、ランプとか、取ってきてもらうんだった。
光源がないまま前に進むというのはある意味自殺行為じゃないだろうか。
人外だというスクアーロならまだしも、俺は普通の、ありふれた平凡な人間でしかない。
感覚は世間の常識と多少ズレているかもしれなくても、人間なのだ。
先が見えないと怖いし、危なくて歩き出すなんてことできない。
……行かなきゃ助けてもらえないようだから、行くっきゃないわけだけれど。
念じるように己を何度も奮い立たせ、キョーコとハルの存在に助けられてやっと立っていられるのだ。
努力と根性のおかげでじわじわと進めている。
壁についた手を先導するように前へと沿わせ、それを追うように足を浮かせて。
ふうふうとすぼめた唇から息を吹き出し、派手に脈打つ心臓を宥めながら瞬きをひとつ。
俺が足を止める度に鳴き声を発して促してくれる二匹は、常に三歩ほど前を進んでいるようだ。
さすが猫、といったところなのだろうか。
夜目がきくのか、気配に敏感なのか……とにかく、助かる。
「もう結構進んだ、と思うのは勘違いなのかなやっぱり」
時間の感覚が狂わされているのだろうという自覚はあるけれど、それがどれくらいかはわからない。
だってもう一時間はゆうに歩いているような気分なのだから。
そんなわけないってわかってるけど。
一時間も時間をかけていたら、いくらなんでもスクアーロがなんらかのアクションを起こしてくるだろうから。
「ああ……もう、俺ダメかもー……」
「なーん!」
がっくりと肩を下げ、項垂れた瞬間を狙ったかのように、ハルが一鳴き。
強く、高く。
注意をひきつけるように鳴いてみせるものだから、俺は反射的に顔を上げていた。
ふわ、と揺れた前髪の間から覗いたのは――。
「灯り?」
ポ、と。
まるでスイッチが入ったかのように灯るオレンジの灯。
十メートルほど先から順に。
一秒ごとの間隔を開けて、ひとつ、またひとつ。
俺の立つ方へと灯っていく。
壁と天井の境目に程近き位置に備え付けられた……あれは、蝋燭だ。
……どうやって。
灯る光は炎。
自然と点いていくのはおかしい。
一体どうやって。
「あ、スクアーロ、かな?」
――そうだ。
そうに違いない。
というか、そうとしか考えられない。
使用人さんは俺の見ないところにいるようだけれど会ったことないし、俺の中で人外といえばスクアーロだから。
こういうマジック的なことも可能なんだろうか。
可能、なんだろう。
何せ神出鬼没だし。
いつもこの言葉で片付けてしまっているけれど……まあ、そうやって自分を納得させることも必要なわけだ。
でないと、足が竦んで固まってしまう。
ぽつぽつと俺を先導するように揺れる火は真っ直ぐに続く通路をぼんやりと浮かび上がらせる。
これで進みやすくなった。
……不気味さは増したけど。
「走っちゃおうか?」
「みゃーお」
恐怖で心が満たされる前に。
白と黒のコントラストに目配せをし、カッと石畳を蹴った。
痛んでいたはずの足もなんとか動く。
遠く見える扉は所々黒ずんだ大きな両開きの木戸。
あそこを抜ければ、スクアーロが言っていた場所のはず。
落ち合うというのなら、スクアーロもそこに来るのだから。
早く。
早く。
お化けとか幽霊とかの発想に行き着いてしまう、その前に。