PHANTOM 
for T



「そういえば、聞いてみたかったんだけど」

「あ?」

スクアーロの館でご厄介?になり始めて丁度三週間が経過しようという今日この頃。

東棟の二階の半分ほどを使用した馬鹿でかい一室には、同じ色、同じ様相の書棚が均等に配列されていた。

電灯の力を借りない室内は若干薄暗いものの、古さと新しさの交じり合う紙の匂いが気分を落ち着かせてくれるおかげで心地よさを感じられる。

南側の壁に並ぶ大きな窓を避け、北側の窓のない壁へ突き立つように配された書棚のひとつにもたれ掛かりながら。

背表紙を順に指でなぞり、視線を滑らせるスクアーロを見上げれば、チラリともこちらを見ないままの空返事が返ってきた。

らしいといえばらしいけど、ちょっとムカっとくるよね。

「むむむーむっむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ?」

「……頬を膨らませるな。唇を開けて喋れ」

「むー」

左頬だけをまん丸に膨らせて唇を尖らせたまま声を発してやれば、なんだそりゃと言いたげな視線と共にスクアーロがこっちを向いた。

そうそう。

人と話す時は目を見るのが礼儀でしょ。

……見つめられすぎても困るけどね。

照れるわけじゃなくて、居心地が悪くなるっていうか、ぎこちなくなるっていうか。

まあ、どうでもいいことなんだけど!

するりと俺の脳内を滑っていった無駄な思考を受け流して、俺はスン、と鼻を吸った。

「スクアーロって時々いなくなるけどどこかに行ってるわけ?」

「そんなことか」

「そんなことっていうけど、気になるもん」

「もん、ってお前」

だから最初に聞いてみたかったんだけどって前フリしておいたじゃないか。

後頭部を古臭い本の背が居並ぶ辺りに当てながらひとつ鼻から溜息を。

俺を見下ろしながら呆れたように瞼を下げたスクアーロ。

重そうにだるそうに、半眼で。けれどなお、違えることなく俺を見つめてくれる瞳。

その視線を一身に浴びて、俺は―――。



最近、俺はちょっと変だ。

わけもなく脇の辺りがむずむずする。

胃や腸がきゅんきゅんと竦む。

ちょっと前までこんなことなかったのに、いつからだろう……ともかく、最近の俺はすこーしだけ変なのだ。



「……っ」

「………」



スクアーロの目を、見ていられない。

いや、見ていられないわけじゃないんだ!

ただ、三秒以上、くらい、かな?

じっと見つめていることが困難になってきたのだ。

差し向けられる視線にこの身が晒されるのがどこかもどかしくて。

鋭い目つきの中に宿る熱を帯びた視線を受け止めるのが、どうにもこうにも歯痒くて。

どうしても逸らしてしまう。

視界の隅には確実にスクアーロを収めておきながら、真っ向から瞳と瞳を向き合わせるのが苦痛だ。

嫌じゃないはずなのに。

失礼なことだってわかってるのに。

本当は、目を見て話したいのに。

……いつから、というと、あの時。

スクアーロからのき、キスを、受け入れた時から。

意識、しているんだろう。

そりゃそうだ。

ファーストもセカンドもサードも奪っていった相手なのだ。

でも。

(恋じゃ、ないと思うんだ……)

立てた膝を引き寄せて、背を丸めながら突き合わせた膝と膝の谷間に鼻先を埋める。

そのままぎゅっと目を閉じてしまえば、鼻から吸った空気に混じるシャボンの香りが肺を満たした。

おおらかな日差しの匂いが混じる。

母さんの匂い。

まだまだ記憶に新しい俺の母さんはいつも洗いたての洗濯物の匂いがした。

思い出の中の母さんはいつも楽しそうに笑っていて、いつも嬉しそうに小さな俺の手を引いている。

スクアーロに与えられた俺の衣服からは、いつもしっかりと太陽の光を浴びてほかほかになった懐かしい匂いが染み込んでいて。

それが、ボンゴレの屋敷でも常に家事に取り組んでいた母さんの姿を思い浮かばせた。

いつも太陽の香りを纏う母さんが、幼すぎる俺に笑顔で語った『恋』というもの。



『たった一人に囚われて、迷いに竦み、痛みを憂い、切なさに涙しても、それ以上に身体を満たす喜びを感じられるなら、それが恋よツナ』



母さん、そんな複雑な感情を恋と呼ぶのなら……俺のスクアーロに対する感情はきっと恋とは呼ばないんだね。

竦むことも憂うことも涙することもなく、目立った渇望もないのだから。

俺の中のスクアーロを思う心の声は単純なこと。

知りたい。

触れたい。

些細なことで構わないから許される範囲内で、彼のことを。

何も知らないと、気付いたから。

スクアーロが何を考えているのかわからない。

何故口付けを?

その真意はどこにある。

一目ぼれなどという性質ではなかろうに。

怪人、というものが具体的にどういう存在なのかも知らない。

人ならざる力を持つから?

では様々な奇異を表す単語の中で何故『怪人』が選定されたのか。

……そんな、難しいことじゃなくてもいい。

好きな食べ物とか。

嫌いなものとか。

苦手なこととか。

趣味はなんなのかとか。

俺の知らないところで何をしているのかとか。

少しずつでいいから。

興味を持つことが許されるなら。

「知りたいと思っちゃ、だめなわけ?」

「………」

ダメならダメで、引き下がるだけの譲歩はある。

誰しもの望みが重なり合うとは限らない。

俺をボンゴレの屋敷に閉じ込めておきたいと願った人と、外を知りたいと望んだ俺とが存在するように。

知る必要はない、と一蹴されるなら、それはそれでいいじゃないか。

諦めることには慣れている。

膝に押し付けた瞼をそっと薄く開き細く息を吐き出しながら、俺はじっとスクアーロの言葉を……拒絶を待っていた。



「お前、毎日食ってる食事の材料はどうやって調達してると思ってやがるんだぁ?」

「へ?」

俺が畑を耕してるとでも?家畜を飼っているとでも?

矢継ぎ早に飛び出すスクアーロの問いは、果たして俺の疑問に答えるためのものなのか。

思いがけない言葉の連続に俺は思わず顔を上げた。

「服は俺が縫ったとでも?使用人に作らせたか?それならその布はどこから持ってくるんだぁ?」

パチリ、と瞬きながら見上げた先には意地悪そうな薄い唇と銀色の瞳が緩やかに弧を描いていて。

「お前が時々漁りにくる本は、どこから最新作が入ってくるんだぁ?魔法、とかいうナンセンスなウケ狙いはお断りだぜぇ」

さあ答えてみろ、と胸をはらんばかりに偉そうな態度で俺を見下ろすスクアーロ。

なにそれ。

腕を組みながら、悠々と足を交差させて。

凭れ掛かった書棚はビクともしないけど、いっそ倒れてしまえば嗤ってやれるのに。

そんなふてぶてしさを装いながら、念を押すように「なぁ?」と首を傾げられても俺は困る。

畑?そんなもの見たことない。庭を彩るのはやけに鮮やかな花ばかりだ。

どこかで家畜を飼っているなら、庭を散々歩き回ったのだからどこかで何かの鳴き声を聞いたっておかしくないはず。だけど、そんな記憶もない。

服ったって。目覚めた時からすでに用意されてたじゃんか。

……そういえば、俺が家で読んでいたマンガの最新刊も置いてあったっけ。

っていうか、図書館並みになんでも揃っている気がするスクアーロの書庫。

そのラインナップを疑いつつも感謝しながら物色していたわけだが……。



まさか。



「町、とか、降りてたりする?スクアーロ」

「そりゃあそうだろ。お前が来てからは特に必要なものが増えちまったからなぁ」

出費がかさんで仕方がない、と首を左右に振るもののその唇は笑いを湛えたままだ。

屁でもない、という印象しか受けないんだけど。嫌味?嫌味にもなんないよそんなの!

……あれ?

ちょっと待て。

出費?

「え!?お金…!?お金って、どうやって稼いでるの!?」

っていうか働いてるのスクアーロ!?

「箱入りのお坊ちゃんでも金は働いて稼ぐもんだっつうのは知ってるのか」

「そこまで重度の箱入りじゃないから!」

うわぁ。どう考えても俺を甘く見すぎ、というよりは馬鹿にしきってるよね。

酷い。

俺だってそれくらい知っている。

本でだって、マンガでだって、読んだことあるし。

そりゃ、働いた経験はないけど。

「まさか、盗んできたりとかしてるんじゃ……」

「誰が盗むか!だがまあ、金の所在は知らない方が身のためだ」

知る必要はない、ではなく知らない方がいい、というのは俺のことを思って言ってくれているのか自分に都合が悪いからなのか。

図りかねるが触れないでおこう。

にや、と僅かに歯を見せて笑うスクアーロの笑顔が怪しすぎるし。

「じゃあ、本当に町で買い物とかしてるんだ……」

「俺ばかりが行くわけでもないがな」

「それでも、時々町に降りてるんだ」

「ああ。それがどうした」

「俺に黙って」

「お前に断りを入れてどうなる」

「行ってきますも言わずに」

「言って欲しかったのかよ」

「挨拶くらいして欲しい、けどそれよりも!」

「何が――なっ!」

ああ、なんてこと。

どうして今の今まで気付かなかったのか。

スクアーロの目を見るたびに深まっていた気まずさも正体不明のモヤモヤもすっきりスッパリ忘れ去って。

勢いよく立ち上がった俺の両腕はまっすぐスクアーロの胸元へ。

力の限り衣服を掴んで、皺を寄らせて。

まっすぐに、射抜くように、スクアーロを真正面から睨みつけながら!



「ずるい!!」



「はぁ?」



思いっきり叫んでいた。



「ずるいずるいずるいずるいずーるーいー!!俺だって町行きたい!買い物とかしたい!おつかいでもいいからしたい!」

「な、なんだぁ急に!そんなにストレス溜まってたのかぁ?」

「外に出られない辛さとか気分が優れないとかそんなんじゃない!俺は自分で買い物とか、してみたかったんだよ!」

「ああ?なんだそりゃ」

「あー!もー!とにかくずるい!ずるすぎる!!!」

「う゛お゛ぉおお!?」

掴んだ指は硬く握り、決して放さないという意志の元。

これでもか、というほどに全身のバネを利用してスクアーロを揺さぶる。

前後左右。なんだっていい。

体内を暴れまわる『スクアーロずるいコール』を表現するため、伝えるために。

身をもって知るがいい!俺の溢れんばかりの悔しさを!

「きいいいい!」

「ちょ、おま、やめ!」

俺が今まで生きてきた十四年間の中でも最高、と言っても過言ではないほどの全身全霊をかけた揺さぶり攻撃。

本来なら叶うはずのない『怪人』だというスクアーロですら言葉を綴れない状況においやるなんて、俺も結構やるな。

第三者気取りな心の片隅が感嘆の息を漏らす中。



「わ、かった!わかった、から!連れて、行って、やるから!いい、加減、や、やめ、やめろぉおおお!」



俺の腕を掴んだスクアーロから真っ青な制止と約束を取り付けたところで、俺はぱっと手を放した。

ふら、とよろめくスクアーロに向かって、ぽんと掌を合わせて見せながら。

「やった!じゃあ明日の朝、楽しみにしてるから!」

「…………早速かよ」

にこっと微笑む俺に反して、スクアーロはガックリと肩を落としたのだった。