木々は夏の青々しさから、滅びへ向かう有終の美とでもいうのか、目に鮮やかな赤や黄へと大地を変幻させ、やけに遠く高い空は漂う白の雲に溶けそうなほどのうす青さを纏って陽の光を注ぐ。

涼やかに頬を撫でる風に目を細めながら、寮から校舎へと続く石畳を歩く足音も、どこか澄んでいるように感じられて。

何をするにも愛おしい、心地よい、刹那の季節がやってきた。

長い長い夏休みを経て、寮に戻ってきたのは五日前。

新学期の用意と休みの間に堕落した生活習慣の改善もすみやかに終了し、こうして規則正しい学生生活が再開されることになったのだ。

ふと思い起こされるのは去年の春の日。

しどろもどろに、嫌々歩いていたこの道も、すっかり馴染みのある風景と化して俺を迎えてくれているようにさえ感じられる。

きっと今なら、目を閉じていたって迷うことなく教室に辿りつける。

そんな想像に任せてそっと瞼を降ろしてみた……瞬間だった。

「う゛お゛ぉいツナヨシ! ちゃんと起きてんのかぁ!?」

パン、と背中をはたかれる衝撃で、思わず肩が跳ね上がる。

「ほわ! あ、ス、スク! びっくりさせないでよ、もー!」

「はあ? お前がぼーっとしてるからだろぉ」

次いでグリグリと髪をかき混ぜるような掌が俺の頭を押さえつける。

ボサボサで跳ね放題な俺の髪を絡めとる、細くもしなやかで頼もしい指先。

身長が負けてしまっているから、ちょこっと視線を上に向ければ、温度を下げた日光を冷たく反射する銀色が目に眩しかった。

不意打ちだ。卑怯な。

「まだ寝ぼけてんじゃねえのかぁ?」

ふ、と。

しょうがねえな、と小さく口端を上げる仕草に、少しだけ心臓が縮む。

きゅっと、摘まれたみたいに。

ああもう! 俺馬鹿じゃない!?

恋する乙女かっての!

………それが否定できないから、なおさらずるいと思ってしまうわけだけれど。

スペルビ・スクアーロ。

俺の隣を、今日の昼飯は何にしようかとか、実技では新たに開発した技を試すだとか、素朴だったり物騒だったりする話題でもって闊歩するその少年は、俺がこの世で一番愛しく感じる人で。

「ちゃんと起きてるし! 昼間、授業中なのにずーっと寝てるスクに言われたくないよ!」

「俺は寝てても寝てなくても成績変わらねえんだからいいだろぉ」

「俺のノート写してるからじゃん」

「そーだぜぇ? だから、お前にはきっちり授業受けてもらわねえといけねえんだよ」

「それずるくない!?」

うっすら頬を染めて笑うこの人は、多分、とてもとても、俺を愛しく思ってくれる人なのだ。

























「去年はお化け屋敷だったよね」

「スクアーロの凶悪顔が役に立ったんだよな」

「白髪の効果もすさまじかった」

「ヴおぉい! てめえらこそこそと……覚悟はできてんのかぁ!?」

「おっと!」

「うわあ!」

「あ、俺はいいんだ」

「お前はいい」

「贔屓だ贔屓!」

「あはははディーノ、たんこぶ出来てるぜ」



「てめえら、うるせえ」



どーん。

もう「毎度おなじみ」と言っても過言じゃないザンザスの『ムカつきパンチ(命名俺)』と『イラつきキック(命名スク)』が炸裂する。

ひっくり返る机。

ふっとばされる椅子。

だけどお金が掛けられた良品だからなかなか壊れずに頑丈だ。

……それもいつまでもつのか、不安ではあるけれど。

備品の一つや二つ壊したところでザンザスが気にとめるわけないから、俺たちが嘆いたってどうにもなりはしない。

ただただ、とばっちりを受けないようにうまく避ける術を身につけていくのみだ。

そして今日も、スク直伝のバックステップで俺はなんとか机と椅子の飛来を避けてみせることに成功した。

「で? ツナのクラスは今年は何するんだ?」

俺と同じく……いや、俺よりよほど上手く、さりげない最小限の動きで全てを見切って避けてみせた山本がにこにこしながら手近な椅子を引き寄せて言う。

放課後。

掃除当番だった俺を待っていてくれたいつものメンバーは、帰り支度にいそしむ俺の周りで各々好きな行動に出ていた。

その内の一人、俺のルームメイトである山本は、適当な椅子に腰掛けながらニコニコと俺の所作を見ていた。

俺なんか見てて何か楽しいのかな。

「俺たちのクラスは展示だよ。っていうか、展示とアトラクションを混ぜた感じ?」

「展示? なんか地味なの選んだんだなー」

俺たちは喫茶店やるらしいぜ? と首を傾げる山本はなんとなく他人事だ。

らしいって。

山本も参加するんでしょ。

「そうなんだよー。交代でウェイターやらなきゃいけないらしくてさ。あ、俺が店番してる時間にツナ、遊びに来いよ。ケーキくらいなら奢るからさ」

「ヴおぉい! 勝手に誘ってんじゃねえぞぉ!」

な? と小首をかしげる山本を押しのけながら、ザンザスが倒した机を戻し終えたスクが登場。

ザンザスの尻拭いを言われる前にきっちりやってみせるなんて……本当に忠実な部下だよね、スク。

「いいじゃんスク。一緒に行こうよ」

「あ、なら俺にも会いに来てくれよなツナ!」

「お前は向こうで潰れてろ」

さきほどのザンザスの強襲を真っ向から受けてしまった、たった一人――ディーノさんが、ふっとばされていた壁際から四つん這いで帰ってきた。

吹き飛ばした張本人であるザンザスはそ知らぬ顔で窓の外を睨みつけている。

何か気に食わないものがあるのか、と尋ねるのは愚問だ。

なぜなら、彼はほぼ常に睨みをきかせているのだから。機嫌など関係ない。良くても悪くてもこんな顔だ。

「じゃあ俺たちの展示も見に来てくださいね。展示っていってもちょっとした迷路みたいにして、楽しんでもらえる形になる予定ですから」

「へー。じゃあツナがいてスクアーロがいない時にでも」

「浮気の予約入れてんじゃねえぞてめえ」

手近にあった誰かの教科書を投げつけてディーノさんを床に沈めながら、スクが俺に向かって手を伸ばす。

まるでスローモーションのように俺の瞳へと映りこむスクの動き。

長くてきめ細かい肌が覆う指先が触れたのは俺の鞄。

「帰るぞぉ。さっさと行かねえと晩飯食いっぱぐれる」

「あ。か、鞄くらい自分で持つってば!」

俺の手から、荷物を詰め終えた鞄をひったくったスクはさっさと扉目指して歩みを速めていく。

手を掴んで引っ張っていくのではなく、俺の物を奪って、追わざるを得ない状況を作り出して、俺を連れ出すなんて……こういうもどかしい可愛らしさがなんともいえない。

素直じゃないのと同等に、愛しさを感じられる仕草のひとつ。

「お前が俺に追いついたら返してやるよ!」

「なっ! ずるい! 走るなー!」

廊下に出た途端、俺を振り返りざまトンと地を蹴ったスクに続き、俺もぐっと廊下を踏みしめる。

ぱたぱたと重なる足音が、完全にひとつとして混ざり合うまで。







「俺たちのこと、完全に忘れ去ってるよな」

「すっかり二人の世界っていうやつだよな! あはははは」

「笑いごと!?」

「ふん」

恥ずかしげもなく、他人から見れば砂を吐き捨てたくなるような二人の追いかけっこを見送りながら、ザンザス、山本、ディーノは三者三様に目を細めた。







文化祭。

それは毎年繰り広げられる学園挙げての祭典。

生徒の自主性を尊重し、個人の力を、結束力を、体育祭とは違う文化的な面からお披露目するための保護者に対するアピール祭。

そして、生徒らの数少ない大々的な娯楽でもある。

各学年、各クラス、部活等の組織ごとに催される出し物は様々な観点から審査され、順位を付けるという方式がとられていた。

格差をはっきりと。

より良きもの、より強きものが、より良き地位に着き、より良き待遇を受ける。

それを如実に、そして顕著に示すのが他の学校との違いであるが、それ以外はどこの学校にでもありがちな普通の文化祭。

……イタリアで文化祭なんてやる学校の方が珍しいかもしれないけど。

でもまあ、お祭りだし。

楽しめればいいんだよ楽しめれば。

毎年、血眼になってクラスの展示や出し物で優勝を狙う人たちや、生徒会が主催するなんらかのコンテストで頂点に立つために必死になる人たちもいるけれど……俺は特に、そういう血気盛んな性格ではないし。

優勝して得られる特権なんて、どういう特権なのかまったく知らないというほどの無関心だし。

穏やかに、普通に。ただスクと、友達と、楽しくすごせればそれでいいんだよ。







なんて、甘い願いが叶うほど俺の人生が容易いものではないことなど、今に始まったことではない。

そう、このときの俺は……ただスクと一緒に色々回って、楽しんで、ささやかな思い出とかが残せればいいなという夢を……儚すぎる夢を見ていたのだった。





Frutte verdi−秋− 青い果実と密室の誘惑より一部抜粋