注)・スクアーロ、ザンザスがツナと同じ年。
  ・ツナが最初からイタリア住まい
  ・学園モノ
 上記に嫌悪感を抱かれる方は、どうか見なかったことにして、そっと窓をお閉めいただくか、ブラウザバックでお戻りくださいませ。








青い果実をまるかじり!




我が家の騒がしさはご近所の中でもピカイチで、だけれど微笑ましく見守っていただけるような恵まれた環境だった。

イタリアの片田舎に居を構える我が家、沢田家の血筋は、純正のジャッポーネであり、例に漏れず俺も黄色人種の一人だ。

だけれど、今『家族』として家に住まう人間の半分以上が血の繋がりがない。

イタリア人だったり、中国人だったりと多種多様な人間に囲まれているから、なんとも言いがたいおもしろ一家になっている。

元々の家族は俺と母さん、そして滅多に家に戻らない父さんの三人だけ、だったのだが。

顔もろくに覚えていない父親が時折気まぐれに寄越す珍客たちが、うちに居ついてしまうのだ。

ランボにイーピン、家庭教師として派遣されたリボーンに愛人のビアンキ。

最近はフゥ太という少年も加わり、一層賑やかになる我が家に不満を持ったことは…… ないことはないが、悪くないとも、思う。

むしろ、彼らこそが『家族』なのだと思えるのだ。血が繋がっていても、数年に一度顔を合わせるか合わせないかの父親よりも、よほど。

父親のことは特別好きでも嫌いでもない。印象が薄れすぎて何も感じないのだ。

それが寂しいことなのか、嘆かわしいことなのかも、俺にとってはどうでもいいこと。

これからも、父親に会うことはそうそうないのだと、知っていたから。



……… だから。



父親の都合に振り回されることほど、迷惑で鬱陶しいことは、ないのだ!



昔、母さんに父さんは何をしている人なのかを聞いたことがあった。確か…… 幼稚園くらいの歳の頃に。

「ツナのお父さんはね、出稼ぎで外国で石油を掘ってる泥の男なのよ〜」

「未開の森林の地図を作るために奮闘している冒険家なのよ〜」

「世界征服をもくろむ魔王バ○モスを倒すべく単身乗り込んでいった勇者なのよ〜」

どこのオル○ガさんだよ! とツッコミを入れたくもなったが、グッと飲み込んだ俺は幼いながらに空気の読めるお子様だった。

大量のハートとキラキラした空気を飛ばしまくる母さんには、何を言っても無駄だろうと察したからだ。

どれが本当で、どれが嘘なのかも判別のつかないファンタジーな父親のエピソードに、俺は付いていけずにいて……。

だから。

「ツっ君、お父さんはね、ボンゴレっていうマフィアの一員なのよ」

と、告げられても最初は信じていなかったのだ。



「母さんは結構反対したのよ? 

ツっ君まだまだ甘えただし、いきなり寮生活なんて言われたって、きっとルームメイトさんに迷惑ばっかりかけることになるだろうと思ったもの。

それに、マフィア関係のお子さんばっかりだって言うじゃない? いじめられちゃうんじゃないかしらって父さんに言ったのよ〜」

困ったわよね。

頬に手を添えて小首を傾げながらも、にこにこと微笑んだままの母さんの頬は…… 何故だか薄っすら色づいている。

「でもね、父さんが

『だからこそ、色々な環境に触れて、視野を広げさせてやるべきだ!獅子が子を谷底に落とし、這い上がってくるのを待つように。ツナも男の子だ! 俺は信じてる!』

だなんて、ロマンチックなこと言うもんだから〜」

…… ロマンチックか、それ。

呆然と立ち尽くす俺の背を、チビ共が玄関へと押しやっていく。

なに、お前らそっち側!?

「なんだかんだでツっ君、しっかりイタリア語も話せるようになっちゃったし。その調子できっとなんでもできるわ! がんばって!」

はいこれ、と渡された馬鹿でデカいバッグには、俺の衣料品がぎっしりと詰め込まれていた。用意がよすぎる。

っていうか…… え!? 今!?

何かおかしいと思ってたんだ。

どっからどうみても黄色人種でしかない俺が、何故イタリアで生活しているのか、とか。

母さんも父さんも日本人なんだから日本に住めばいいじゃないか。父さんなんて世界中飛び回ってるんだろ? とか。

生まれは、日本なのだ。幼少期にこちらへ連れてこられてしまったから、イタリア語は確かに身につき、日本語も両親の影響で読み書きできる。

……つまりは、全てこのためだったのか。

俺は今まで、普通市民として生きてきたというのに。

いきなり、マフィアの息子だと告げられ、指定された学校へ通えという。

マフィアの関係者の子供が通う学校に? 凡人の俺が? ありえない!

しかも寮? ありえない!

そんな、そんな恐ろしい場所に住めと。放り込まれると。

あ、ありえないから!

「さっさと行け!」

頭を抱えて涙目になる俺を、無情にも家庭教師様が蹴り出した。

バッグひとつと共に緩やかな放物線を描いて、俺は空を飛び、惨めに地面へ崩れ落ちた。

後を追って外へ踏み出したリボーンが、俺の目線へと屈みこみ、ここだ、と地図を示して顔面に押し付ける。

慌てて身を起こしてみれば、手渡すだけ手渡して、皆あっさりと家の中へ引き返していってしまうし!

レ・ミゼラブル。ああ無情。

目の前で軽やかな音が鳴り響き、扉はあっさりと閉められてしまった。







理不尽だ。

あんまりじゃないか。

確かに、そのマフィアのお金で俺たちは生活しているのだ。

俺の学費も、その、ぼ、ボンゴレ? とかいうマフィアの財源から出されているのだろう。今までも、これからも。

だから、だからと言って…… こんな……。

地面に両手を付き、膝を折ったまま、俺はガックリとうな垂れた。

きっと、家には入れてもらえないのだろう。

いわゆる、組織の圧力というものだろうか。俺の行く末は、既に定められているのだ。

母さんは、きっと考えていないのだろうけれど、いずれはそのマフィアの一員と数えられることになる俺の将来が、今、目の前に横たわっているような心境だ。

敷かれきってしまったレールがありありと見えている。

嫌だ。痛いのは嫌だし、辛いのも嫌だ。

できるだけ楽に生きていきたかったのに、よりにもよってかなりハードな道が用意されてしまっている。

そして…… 今のところ、その道から逸れることは許されていない。

父さんの事情はどうでもいいが、母さんやチビ、俺の家族のことが気にかかるから。

行くしか、ないわけだ。

のそりと身を起こし、膝に付いた砂埃を払う。

緩慢な動きでバッグを手に取れば、心の負担も加わって、嫌にずっしりとした重量感が俺を苛んだ。

昨日までは、こんな無茶苦茶な状況に放り出されるとは思ってもみなかったが……。

…… ある意味、トラブルというトラブルに慣れ始めている思考は、意外と冷静で。

まあ、なるようになる、といいな……。

なんでも諦めて、甘受してしまえる己に感嘆しつつ、俺は一度、自分の住まっていた家を振り仰いだ。

ムカツクほどに晴れ渡る、三月の中旬のできごとだった。



辿り着いた寮は、『寮』と呼ぶにふさわしくない建築物だった。

…… 何故かって…… だって、これは……。

俺が住むことになった寮は、『寮』というより…… 屋敷だった。

城といってしまっても過言ではない。

外界から隔離されるように中心地から離れたシチリア島の片田舎に、それはあった。

学校、というよりは、ひとつの町と、城が。

魔法学校!? と慄いたりもしたのだが、一歩踏み込めばそこはやはり、マフィアの世界で。

受付が黒スーツのいかつい男の人だったりしたもんだから、ファンタジーな空気は一気に霧散したし。

手続きも抜かりなく完璧に行われていたようで、俺はすぐに宛がわれる部屋へと案内されて……。

そこは、言うならば飾りたてられた地獄だった。

馬鹿みたいに豪華な部屋。馬鹿みたいに豪勢な生活。

まったく馴染めない高貴な空気。

運動もできない。

勉強もできない。

絶対いじめられる。そういう確信があった。

ああ、最悪。

入学すらしていない段階だというのに、日を追うごとに増す憂鬱。

こんなに夢も希望もない学園生活、まっぴらごめんだ。

いつか、必ず逃げ出してやる。

そう、思っていた。

入学初日、隣の席の、銀髪の男と出会う、運命の瞬間までは。











「う゛お゛ぉい!ツナヨシぃ今の授業のノートとってたかぁ!?」

「うんとってたよ。ていうか…スク、寝すぎ」



授業時間終了の鐘の音と同時。先生がまだ出て行ってすらいない段階で、隣の銀髪が声高に質問を飛ばしてきた。

銀色が、窓から注ぎ込む陽光に照らされてキラキラと輝きを放つ。

スペルビ・スクアーロ。彼は、俺の数少ない友人の一人だった。

周囲を金持ちなマフィアの子供に囲まれて、萎縮するしかなかった俺にもたらされた救い。

それが、隣の席のスクアーロとの他愛のない会話だ。

というか、このスペルビ・スクアーロと出会ってから、世界がぐるりと180度変化を遂げたような気がする。

たとえば授業中の態度。

彼はどうしようもなく不真面目で、授業をさぼることなど至極当然という顔をしている。

出席しても突っ伏したまま、顔を上げることなどまるでないという有様で、まともに受けるということを知らない。

たまに起きていたとしても教科書を忘れてきていたり。

だから、ノートを見せてくれと頼まれるし、教科書も机を寄せて一緒に見る、ということになるのだ。

おかげで俺はというと、うかうか寝ているわけにもいかなくなった。

まあ、結果的に成績がちょっと上がったのは感謝してもいいかな、とも思うけれど。

不服に思うのは、席が隣というだけで訳のわからない不良同士の喧嘩に巻き込まれたり、おっそろしいボンゴレの御曹司とも関わりを持つようになってしまったことだ。

ボ、ボンゴレって親父が所属してるとかいうマフィアじゃないか!

媚でも売っとけというのか!

と思いつつ、スクアーロは彼と何らかの関係があるらしく(というかまるで下僕のような扱いを受けている)必然的に関わり合いが増えてしまったのだ。

毎日何かが起こるので日常が非常に目まぐるしく、もうこれは平々凡々な生活なんて夢見ていられないなと諦めてしまえるほど。



しかし、ぶっちゃけてしまうと、この生活は嫌いじゃない。

むしろ…… 気に入っている。

理由は、なんというか。

非常に言いづらいことではあるが……スクアーロに好意を抱いているからだ。

どういう種類かは、あんまりはっきりと自覚したくはないので、勝手に友愛だと決め付けているが…… いやいや、これ以上は考えちゃいけない。

遠慮もないし配慮もないが、時折見え隠れするさりげない優しさだとか、潔さだとか、俺にはない強さだとか。

すごく、好き。

そんなこと、本人には絶対言えないし、言わないけど。

だって、恥ずかしすぎるじゃん!



とりあえず、すっかり慣れきったトラブル続きの日常と、スクアーロとの関係を、俺は日々満喫していた。

今の関係はとても居心地がよかったから。

壊したくは、なかったから。







なのに。







「お前が好きだ」







静まりかえる教室。

掴まれ、引き寄せられた腕。

喉をつっかえる息に押さえ込まれて、思わず呼吸すら忘れながら。

唐突なる告白に、俺の日常は破壊された。



…… いやいやいや、だって、何を言っているのですかスクアーロさん。

しかも、何、今、授業中だってわかってますか?

ほら!ちょっと見てみなさい。教室中の視線を一心に集めているではありませんか。

先生まで固まって…あ、チョーク落とした。

粉々じゃないかもったいない。



なんなんだ、一体なんの仕打ちなんだこれは。

シーンと静まり返った教室。

動けない身体に反比例して、速度を上げていく鼓動。

窓の外からはどこぞのクラスの授業なのだろう、体操のカウントが聞こえてくる。

日差しはうららかで、五月らしさとでもいうのだろうか、さわやかな風がどこからともなく滑り込んできた。

なんて平和な風景だろう。

…… なのに、何?爆弾、投下?

さっきまで本当に、いつも通りだったのに。



そう、いつも通りだったのだ。

前の時間、机につっぷして寝ていたスクアーロは、睡眠ゲージが満タンになったのか、この授業は起きているつもりらしくて。

例によって教科書を忘れたという彼の方へと机を寄せ、はいどーぞ、と教科書を取り出して差し出した、だけ、だったのに。

ガシっと音でも鳴ったかと思わせるほど、しっかりと俺の腕を掴み。

お世辞にもいいとは言えない目つきから放たれる鋭い眼光が、真正面から俺を捕らえて。

「ツナヨシ」と呼ぶ声が常より幾分固い気はしたけれど。

呼ばれたらそりゃ次の言葉を待つだろう?

そうして軽く油断していた俺の身は、先の一言を投下されて、一寸たりとも動けなくなっってしまったのだ。



「う゛お゛ぉいツナヨシ、聴こえてんのかぁ?」

「え、あ、あぅうううう」

「なんだてめえ聴いてなかったのかぁ!?しょうがねえなあもう一回…」

「う、うわああ! 聴こえてたよ! 聴こえてました! だから勘弁してっ!」

「なんだそれ。じゃあ何とか言えよぉ!」



何とかって…… え! いや! なに!?

今更熱くなってきた!

なんか体中が熱い!

顔とか絶対赤くなってきてるはず!

だって、だってスクアーロが俺のこと好きとか言った。

…… 好き? 好きだって!?

それは、えっと、あれ? なに?



「友情、とかで…?」

「んなわけあるかぁ!!」



……… うわぁあああああ! やっぱり違うんだ。

ど、どうしようっ!

なんかすごいドキドキして呼吸もままならないんですけどっ!

このままだと死んでしまう。死んで、しまいそう。

なんで泣きそうになってるんだ俺!

っていうか先生! お願いだから授業再開してください。

落としたチョークを拾ってください。

そんなに目、真ん丸くしてないでさぁ!

ああ、でもしかたないよね。

だって今授業の真っ最中だしね!

みんないるし… って! ああみんないるじゃないかっ!

どうしよう恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!

な、なんて答えればいいっていうの!?

… そ、そりゃあ、俺も、スクアーロの、こと……… うわぁぁあああああ!!!

え、えええええ!? みんなの前で!?



グルグル回り回った頭が絞りだした、俺のやっとの一言は、



「お、俺たち、友達じゃなかったの?」

―――なに言ってんの俺ぇ!?

いや、でも、でもさ!

お、おお俺も多分、スクアーロのこと、すすすすす好き…… なんだろうけどさぁ!

ああごめんっスクアーロ!

見開いた目で俺を捉えるスクアーロの指先がちょっと、震えてる。

でもさ!

これで「俺も」とか言った日にゃ、世に言う… 恋人、というものになってしまうわけですよね?

そうなると一緒に帰ったり、手ぇ繋いだり、その、あの、き、キスとか、しちゃうわけでしょ!?

うわぁあそんなの!

考えただけで気絶しちゃいそうだよ!

鼻血出そうだよ!

耐え切れる自信がないっ!

そんなの無理だってばスクアーロ。

だったら、このまま友達のまま、とかの方が… とかって考えちゃう俺はバカ?

ああああどうしろっていうの神様。

だけど、俺がスクアーロのこと、好き… っていうのは、やっぱり確実なことだと、思うんだよね……。

うわぁあああん! どうしたらいいのさぁ!!



「う゛お゛ぉい、ツナヨシ?」

「う」

「う?」

「うわぁぁぁぁあああああああああああああ!!」

「な、なんだぁ!?」



堪えきれなくなった俺はガタリと音が立つのも気にせず、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

視線の数々が俺を追う。

それもまた、居た堪れなくて。

俺は。



「な! おい! ツナヨシィ!!」



俺は。



「ちょ! おま! ま、待ちやがれぇえええ!!」



俺は、授業の最中で静まり返る廊下へと、脱兎の如く飛び出していった。







ふいを突いたがために、スクアーロとの距離には少しだけ、ほんの少しだけ貯金があった。

が。

いかんせん、俺は運動オンチで。

「こるぁあ! ツーナーヨーシィイイイイ!!!」

「うわあああ!!」

相手は上級生を相手に喧嘩をしても、かるーくのしてしまえるほどの強者だ。

これぞ死ぬ気、と言える形相で階段を駆け上がりながら、俺はどこに行こうというのだろう、と泣きそうな口元を手で覆いながら息を切らせる。

とりあえず、とりあえずなんか、ちょっと、距離が欲しい。

ちょっと待っててくれないかな…! 時間、くれないかなスクアーロ…!

一度自分を整理しないと俺、爆発しちゃうんだってば!

察しろ、というのも無理な話かもしれないけれど、面と向かって時間をくださいっていうのも恥ずかしいのだ。どうしようもない。

問答無用に追ってくる姿なき足音が、段々と距離を詰めてきている。

やばい。

そう思った瞬間、目の前に鉄扉があらわれた。

屋上へと到るそれ。

普段は出入り禁止で、鍵がかけられているはずだ、が。

どうかどうか!神様!

祈る思いで手をかけたドアノブは、ピタリと掌に吸い付いて―――。







「……う゛お゛ぉい! ツナヨシぃ! どこ行った!」

「おいカス」

「ああ!? って、ぐあ!」

「人の睡眠妨げてんじゃねえよ」

「ザンザス!」



スクアーロの鼻にクリティカルヒットした空き缶が、カロカロと音を立てながらコンクリートの地面を転がっていく。

屋上でも一段高い場所、つまりで入り口の上の、箱のようになった高みで、御曹司ザンザスはブラブラと足を揺らしていた。



「う゛お゛ぉいザンザス! ここにツナヨシが来なかったかぁ!?」

「俺が知るか」

「っくしょお… どこ行きやがった……」

「んだテメェ、ツナヨシになにしやがった」

「まだなんもしてねえよぉ!」

「はあ?」

ザンザスを見上げながら叫んでいたスクアーロは、ふと視線を地面へと逸らして。

気まずそうに、ごにょごにょと。

「……返事を、もらってねえからよぉ……」

「………ふん」

鼻で笑ったザンザスは、足を組んで見下すようにスクアーロへと視線を落とす。

「なんだカス、振られたのか」

「な!……そうか、そうかも、なあ」

そうだこいつには超直感があったのだ、と歯噛みしながら、突きつけられた現実に目を向ける。

そうだ、振られた、のだ。

「嫌われてるってわけじゃない気がしてたんだけどなぁ……」

足元から伸びる影が、異様に長く感じる。

なんだかそれを見ているのが嫌で、空を見上げたスクアーロは、湧き上がる懐古の念に想いを馳せた。







出会いは、教室の外と中の狭間だった。

『…… う゛お゛ぉいお前… 邪魔だぁ』

斬ってやろうか、とも思ったが、そいつの背が自分よりも小さく細く、いかにも弱々しかったので、斬るだけの労力がもったいない、と気が削がれた。

削がれてよかったと、今では感謝しているのだが。

そいつはなぜだか教室内へと踏み込むための扉の間で、オロオロわたわたと挙動不審そのものを演じていた。

幾分大きな荷物を抱えたその身は先に述べたように小柄で細く、制服でなければ女かと見紛ってしまいそうだと目を細めたのを覚えている。

声をかけた途端ビクリと竦みあがった肩に片眉をひそめながら、再度『う゛お゛おい』と唸りを上げれば、恐る恐るといった感じでふわふわの薄茶髪が振り返った。

大きな瞳。

アジア系と思しき肌は、しかし透けるように白く見えた。

弱っちい、と感じながらも、それは庇護欲をひどく擽られるような、本来自分が持つことのない陳腐な感情を呼び覚まさせて。

『なにしてんだぁ?』

『い、いえ、あの、その』

『はっきりしやがれぇ』

『あ、ああすいませんっ! その… ここ、教室ですよ、ね?』

『はあ? どっからどう見ても教室そのものじゃねえかぁ』

『えー!? これのどこが!!』

…… ああ、なるほど。

こいつはおそらく一般的な家庭に育ったのだろう。

または、マフィアの中でも下層にいて、まかり間違ってここに入学するはめになった、といったところか。

確かに、俺も初めてこの世界に飛び込んだ時には目を疑ったものだ。

なにせここは。

『なんで教室にシャンデリア!? 椅子だって机だって、なんかおかしくありません!?』

先の怯えっぷりはどこへやら。

零れ落ちるんじゃなかろうかと思えるほど大きく見開かれた瞳が詰め寄ってくる。

… っていうか、俺を責めてもしかたねえだろぉ。

どの程度が普通なのかは知らないが、ここは確かにひとつひとつのグレードが高い。

教材、設備、施設、人材。何をとっても最高クラスで整えられている。

理由は簡単。

ここに通うのは、マフィアの子供の中でも特殊、というか、上層区域に属する親を持つ、または将来が期待されている実力者だからだ。

総じて、いずれそれぞれのマフィアで大きな役割を担うであろう子供が、通うことを許される学校なのである。

だからこそ、環境は最高であれ、とされた…らしい。

今のうちから慣らしておこうとでもいうのだろう。

こいつが指した椅子も机も、もちろん全て特注品だ。

やけに光沢のある材木に、不必要なほどゴテゴテとした彫刻が施された机の存在が、俺はまったくもって気に食わない。

金持ちのつまらない見栄のようで、馬鹿馬鹿しくてたまらない、が、格式あるマフィアの幹部の執務室ともなればこんなもんじゃあすまねえだろう、と思えるのだから、俺もずいぶん毒されたものだ。

眼前の少年は信じられない! と頭を振るいながら、俺にしがみついてくる。

『これが、これが当たり前の世界なんですか!?』

 寮があんなだったから、それなりに覚悟はしてたけど、ともごもご口の中で言い募る様は、挙動不審そのものだ。

『お前…… モグリかぁ?』

『もうモグリでもなんでもいいですよ! うわああ帰りたいー!!』

『うるせえ』

おら、入れ。

そう言って背を押してやれば、すんなりとその身は傾ぎ。

『へ……わ、わわわわ』

こけた。

『…… お前… それは、鈍すぎじゃねえのかぁ…?』

『うううううう』

こいつ、本当にこれでマフィアの一員になろうってのかぁ?

他人を慮るのなんざまっぴらごめんだが、こいつは……。

打ち付けた尻をさする小僧の瞳は、うっすらと涙が張っている。

どさりと取り落とした荷物には、今日必要としない類の教科書まで詰め込まれていて。

無知と、純真。

…… 自分がとうの昔に捨ててきたものを……。



『…とりあえず、起きろ』

『あ、ありがとうございます』

こかしたのは俺だってのに、伸ばした手を掴んだそいつは、遠慮がちに手を握り返して、ニコリ、と。



思えば、その瞬間から、だったのかもしれない。



指定された席についてみれば、座席表片手にひょこひょことやってきたのは先の小僧で。

『……え! あ! 隣!?』

『よろしくなぁ? サワダツナヨシ』

ニヤリ、と歯を剥けば、わずかに引きつりながらも、そいつ、ツナヨシはよろしくお願いしますと笑った。







「おいカス」

はっと我へ帰れば、何の感情もうかがわせない、仏頂面のザンザスの右腕が振りかぶられた瞬間だった。

「ぶっ!」

「コーラ買ってこい。ダイエットの方だ」

「…… お前、その顔でダイエットって」

「文句あんのか」

「…… 行きゃあいいんだろ行きゃあ!」

飛んできた財布を顔面で受け取りながら、ズカズカと大股で扉へと向かえば、興味をなくしたようにふいと後ろを向いてしまうザンザス。

傍若無人の鬼かぁ! こんなことしてる場合じゃねえのによぉ! と悪態をつきながらも、スクアーロは乱雑に扉を抜けて駆け出した(あんまり遅いと制裁が待って
いるからだ)。



「出てこい」

「…… うぅ… ありがとザンザス」

後ろを向いたザンザスは、己の背にすっぽりと隠れていた少年の首根っこをつかんで引っ張り出した。

どさ、と横に落とされた少年、ツナは「いてて」と尻を撫でながらも、ザンザスに向かって覇気のない笑顔を零す。

そんな顔を「しょうがねえやつだ」と眺めていたザンザスは、ツナの頭へと手を伸ばし。

「…… いてっ」

ごっ、と軽い(スクアーロに対する一撃に比べたら万分の一くらい軽い)拳を脳天へとぶつけた。

そのまま髪に手を埋めてワシワシと撫で回しながら、どうした、とザンザスが問い始める。

「いきなり走ってきたと思ったら、突然『匿え!』ってのは、どういうつもりだ」

「う…… だって、だって、ちょっと聞いてよザンザス…!」

ぶわっと感情を顕にしたツナは、押し倒す勢いでザンザスに詰め寄った。



そうして。



スクアーロの突然の告白。

しかも授業中だったこと。

走って逃げてきたらすごい勢いで追ってきたこと。

全てを話しきる頃には、ザンザスは…… すごい顔になっていた。

「…… てめえ… それは惚気か…!」

「え、な、え? なんで怒ってんの…?」

眉間の皺が、もう皺というよりヒビのようになっていて。

目はかぎりなく凶悪に細められ。

握りしめた拳は、揮わないようになのだろう、固くなりながらもブルブルと震えている。

「つまり、なんだ、なにが言いたい」

「え、や、だから…… あれ? なんだろう」

「お前がカスから逃げた理由はなんだ」

「や、ちょっと、時間が欲しくて」

「で? 考えたところで、どうなる」

「どうなるって…」

「答えが変わったり、すんのか」

「え………」

きょとんと目を見開いたツナは、唐突に黙りこみ……。

開いた口が塞がらないほどに呆けてしまった。

眉間を揉み解しながら、ザンザスがひとつ息をつく。

それはそれは深い吐息で。

何かを抑えこむような重さで。

もしかして俺が何かしでかしたかな? とツナが自分の行動を振り返ろうとした、瞬間。



グルン、と視界が回った。

突如として目の前に広がったのは、五月晴れの青空、で……。

「なら、俺が」

「え? なに? なにこれザンザス」

ゆっくりと下の方から現れたザンザスに組み敷かれたのだと自覚したのは、両手が押さえこまれてからだった。

逆光になっているから、ザンザスの表情ははっきりと伺えない。のに。

「俺が、ここで、告げたらどうする」

「え…… なに、を?」

世界はザンザスで埋め尽くされていた。

目を逸らすことを許さないと言いたげな眼光が。

赤い赤いその瞳だけが、やけに鮮烈に煌いて見えて。







「俺が、お前のことが好きだ、と」







言ったら、どうする?

問うザンザスは、ぎゅっと俺の手首を握り締めた。

逃げることを許さない、真摯な問いかけだった。

だから、だから俺は気づけなかった。

鈍くて重い扉が開く音も。

わざと高々と鳴らされた靴音も。

恐々と息を飲む気配も。



ガロンゴロゴロゴロ、という金属が転がる音で俺の意識はザンザスから解き放たれた。

去来する嫌な予感に、目線を下へと向けてみれば。

「………」

「… あ……」

缶を握った手の形のまま、立ちすくみ絶句するスクアーロと、ばっちり目があってしまった。







ふらり、と身体が揺れる。スクアーロの身体が。

青ざめたまま俺たちに背を向け、そのままふらふらと数歩進んで…… たどりついたのは…。

手すり。

「… わ、わぁああああスクアーロぉぉおおお!?」

それを乗り越えようと足をかけるものだから、俺は慌ててザンザスを押しのけ、転がり落ちるように下へと降りた。

途中で二回ほど脛を打ちつけた。

が、そんなこと気にしていられるかっ!

「ちょっと! ちょっと待ってスクアーロ!」

グイっと身を乗り出す彼にやっとの思いで追いついて、腰へと腕を回す。

気づけば、力の限りその腰を締め上げながら、必死に声を上げていた。

「待って! 待ってってばスクアーロ! なんでいきなりそうなるの!?」

「……う゛、う゛ぉおい…! ツ、ツナヨシ…!」

「死んじゃダメだスクアーロ! 死んで花実が咲くものか! 地獄の沙汰も金次第!」

「ちょ…! おい…! ツナ、ヨ、シィ……!」

「……… いい締めだな、ツナヨシ」

その怪力、普段にも発揮したらどうだ。

にやりと笑うザンザスの言葉に、ようやくツナは己の失態を認識した。

わっごめんスクアーロ! と手を離してみれば、ウェッホ、ゴホゴホと、途端スクアーロがむせ始めた。

圧迫されていた腹部を押さながら、スクアーロが跪く。

それに合わせて、しゃがみこんだツナは咳き込むスクアーロの顔を覗きこんだ。

服の端を、そっと握りしめておくことも忘れない。



「… スク、大丈夫?」

「お前…… 結構いいもん、持ってんじゃ、ねえかぁ……」

そんな庇護欲煽るような顔しといてなんつう馬鹿力。

鍛えているはずの己の身体をギリギリと締め付け、まして後ろへと引き戻してみせるとは。

今日は本当に、こいつに度肝を抜かれてばかりだ。

本当に……。

「………」

「…… スク?」

「…う゛お゛ぉいツナヨシぃ」

急に黙り込んでしまった俺を心配したような表情で覗き込んでくるツナヨシ。

ああ、お前は……。

「お前、あいつに気があんならさっさとそう言やあいいだろぉ…… 俺だって男だ。潔く身くらい退いてやるよぉ…」

「あ……」

今思い出した、というかのように、ツナヨシが小さく声を発した。



…… 思い出した。

これは、やばい。

あまりにも必死だったから、ちょっとの間だけ忘れてた。

だって、スクアーロが死んじゃうのかと思ったから。

死んで、しまうのかと…。

一瞬のうちに訪れようとした恐怖に慄きつつ、身体は勝手に飛び出していた。

離してなるものかと、頭の中はそれでいっぱいになって。

必死だった。必死だったんだよスクアーロ。

…… そんな悲壮な顔しちゃって…… 身、退くなんて言いながら、今にも泣きそうじゃないか。

ああ、違うんだ、スクアーロ。

それは、勘違い。

今考えてること、言ってること、全部見当違いだよ。

だって俺が。

俺が、俺が好きなのは……。



「… ザンザス」

すっと立ち上がった俺に、スクアーロが小さく肩を揺らす。

うん、ちゃんと聞いといて。

「ザンザス…… さっきの、本気じゃないでしょ」

「……… ふん」

鼻を鳴らして笑うザンザスの表情に、冗談の色が浮かんでいる。

もう、相変わらず強引な。

ものすごく強引な、俺に対する荒療治。

「スクアーロ」

だけど、その荒療治はものすごく効果を発揮して……。

視線を、うな垂れたままの銀色へと向けて、俺は薄く微笑んだ。



時間を置こうと置くまいと、俺の返事は変わらないんだ。

誰が茶々を入れようと、どんなに深く悩もうと。

答えは、もう、ずっと前から出ているのだから。



ねえ、あの時。

声をかけてくれたのがスクアーロじゃなかったら。

…… 俺はもうここにはいなかったかもしれないよ。

なんだかんだで手を差し伸べてくれた、スクアーロがいなければ。

まったく知らない、人、もの、環境で、不安の塊でしかなかった俺に、降り注いだ一筋の光明だったんだ。

後から知ったスクは、目付き悪いし、喧嘩早いし、血気盛んだし、意地悪だし。

だけど、それ以上に意外と優しい。

その手をどんなに血に染めようと、滲む温かさは変わらないのだと、俺は、ちゃんと、知っている。

それよりなにより、あの時引き起こしてくれた強い腕は、俺の『真ん中』を鷲掴みしていったんだ。



…… だからこそ、怖かった。

これでさ、もし自覚でもしてしまったら、それこそ根こそぎ、俺の全て、スクアーロに捧げることになってしまう。

全部、全部持っていかれて、それでいつか捨てられでもしたら…… きっと俺は立ち直れない。

怖い。怖いよスクアーロ。

…… だけど、ね。

さっきの悲壮な瞳に、なんだか、ちょっと、スクの本気を垣間見たような、気がして。

どうしようもなく、この陳腐な心は躍ってしまったから。

全部を、あげたい、なんて……。

ああ、なんて単純なんだろう、俺。

そう。

告げる告げないなど関係なく、答えだけは、ずっと前から決まっていたのだ。



ねえスクアーロ、知ってる?

多分俺は、あの時から。







「大好きだよ、スクアーロ」







俺を見上げてぽかんと口を開いた、おそらく生涯で一番まぬけな顔を晒したスクアーロの、その一瞬の表情を…。



俺は、一生忘れない。






青い果実をまるかじり! 編