初代様がみてる 4






遠慮なく腕を引かれるのはこれで何度目だっただろう、と少しヒリヒリする腕の感触に唇を引き結びながら、俺は歩みを進めていた。

視線の先には揺れる銀色。

スクアーロさまの背中は今日も大きくて背筋がまっすぐで、なんというか、神々しい。

剣技を得意とされているからか、動きのひとつひとつがしなやかで力強く、かつ繊細に見えて、様になるのだ。

何をしても。

などと意識を飛ばしてなんとなしについていった先は、第二体育館だった。

校舎の裏手にある小ぶりの体育館。

小ぶりとはいえ、畳敷きの格技室よりは倍以上広いし、高等部の一学年を集合させるくらいの面積はある。

中、高、両方の全生徒を収容できる第一体育館とは比べるまでもないが。

主に他校との試合や交流に使用されるここは、更衣室、トイレ、洗面所、簡易シャワー、休憩室が完備されていて生徒達からの人気は群を抜いている。

「そこのスリッパに履き替えて、上がれ」

俺の腕を解放したスクアーロさまが促した指の先には、来客用に備えられた棚の中の茶色い皮製スリッパが規則正しく並んでいた。

館内は土足厳禁なのがどの体育館にも共通して存在する規則なので、俺は素直に従ってスリッパを手に取る。

上履きを脱いで棚の端に置き、ペタ、ペタ、とスリッパに足を乗せていけば、その隙にスクアーロさまは靴下のままでさっさと中に入っていってしまった。

「お、スクアーロ。遅かったじゃん」

「遅刻だねぇ」

薔薇様たちの声が響き渡る屋内に、スクアーロさまの背中を追いかけて俺はそっと滑り込んだ。

つもりだったけれど。

痛いほどの視線が一気に集中したのを嫌でも感じ取ってしまった。

広い館内には昨日のメンバーが勢ぞろいしていた。

加えて、二十人ほどの男女が動きを止めてこちらの様子を伺っている。

体育館内のほぼ中央に位置する辺りで大きな円を描くように散る生徒たち。

その中にクラスメイトの顔を発見して、彼の所属しているクラブを思い出した。

ダンス部だ。

「俺たちのことは気にするなぁ!さっさと練習続けろぉ!」

端で見てろ、と小さく呟いたスクアーロさまは一度だけ俺を振り返ってから円陣の中へと進んでいく。

するとどこからかクラシック音楽が流れてきて、人の波が動きを取り戻していった。

スクアーロさまはその中心で入江さまの手を取った。

そうか、群舞か。

ゆったりと上体をそらしたスクアーロさまは、慣れないはずの女性のステップを優雅に踏んでワルツを身に纏っていく。

どうやら今日はシンデレラのダンスの練習だったらしい。

「ツナ、こっち来いよ」

「いらっしゃい綱吉くん」

呼ばれて視線を巡らせれば、少し奥の壁際でヒラヒラと手を振る白薔薇さまと、オーディオプレイヤーに手をかける黄薔薇さま、

どこから用意したのか知れない豪華な椅子に座った紅薔薇さまが群舞の様子を見つめている。

こっちの方が良く見えるぜ?とにっこり笑う白薔薇ディーノさまに吸い寄せられるかのように、俺の足はスス、とそちらへと向いていた。

優雅な音楽に乗って、少年少女がくるくると舞う。

男子校である我が校のダンス部はお隣の黒曜と合同で活動を行っている。

あちらは元々女子校で、五年ほど前から共学に変わったばかりだ。

女子比率の高い黒曜と男子しかいないボンゴレの効率的な協力策だった。



いや、それにしても。



制服のまま回る彼らは違和感を物ともせず華やかな雰囲気を振り撒いていた。

同じ振りでしなやかに姿勢を正して踊る姿は素人の俺でもレベルの高さを思い知る。

格式高きボンゴレ学園の名に恥じぬ優雅な円舞。

だが、その中でも一際目を引く存在が確かにいた。

遠目からでも、スクアーロさまが主役なのだとわかるほどに。

「……まあまあだな」

「まあまあですか!あれで!?」

斜に構えたザンザスさまはポツリと呟いて足を組みかえる。

「正チャンは初めてだしね」

「雲雀だって今日が初だからな」

「初めて!?」

スクアーロさまが到着するまでの間にダンス部の精鋭方にステップを教わり、今まさに初めて合わせているのだという。

それぞれの妹の踊り様を眺めているのか、ザンザスさまの椅子に並ぶように白蘭さまとディーノさまも揃って壁際に立っていた。

「スクアーロの奴は万能だしな。ザンザスの家の庇護を受けて英才教育されてるから社交ダンスくらい踊れて当然なんだよ」

黙って頬杖をついているザンザスさまの代弁として、ディーノさまがスクアーロさまの即興ダンスを解説してくださる。

なるほど。なんでもできるわけだ。

スクアーロさまに関する噂のひとつにザンザスさまとは幼馴染で、ザンザスさまのお家の庇護の下、

年の近いSPとして、いずれは右腕として力を奮えるよう教育されている、というものがあった。

どこまでが真実なのかはわからないが、ザンザスさまのお家の影響を受けているのは確からしい。

ディーノさまは少し呆れたようにスクアーロさまの内情を語る。

武道から教養まで。ありとあらゆる芸事に興じてきたのだと。

英会話やピアノ、社交ダンスに日本舞踊の個人レッスン。

剣術はほぼ独学らしいが、道場を開いてもやっていけるほどには確立した自分のスタイルを築きあげてしまっている。

こっそり憧れていたスクアーロさまに関する噂話の真実の一端を垣間見て、心臓がドクリと鳴った気がした。

「なんだか、別の世界の人みたい」

「そ。別世界。ありえないだろ。だからこそ、ザンザスが全部やめさせたんだけどな」

「え?」

ニーっと悪戯っ子のように白い歯を覗かせたディーノさまは俺を覗き込むように背を丸めた。

「ザンザスが妹にしちゃってさ、生徒会の仕事に引っ張り回すようになったから、稽古ごとはほぼ全てやめざるをえなくなっちゃったってわけ」

元より責任感が強い面を持つスクアーロさまは与えられれば与えられるだけ仕事をこなしたのだという。

根がまじめなのはその真っ直ぐな視線と姿勢に現れているといってもいい。

「敷かれたレールに従いすぎると息が詰まるってもんだろ。ストレスも増す一方だ。だから、ちょっとした息抜きが必要な頃合だったのさ」

わかるか?と首を傾げたディーノさまは薄っすらと目を細めていた。

「……なんとなく」

「なんとなく、か」

俺の返事を受けて呟いたのは、尋ねてきた白薔薇様ではなく、視線を円舞に向けたまま顎を上げた紅薔薇様だった。

口角が微かに上がったような気がしたけれど……否、やはり気のせいかもしれない。

仏頂面の強面は、威圧感を持って場の緊張を保っている。

薔薇様方の視線を浴びる群舞はほどよいピリっとした空気に包まれたまま滑らかな円を描き続けて。

体育館内に高々と響く管弦楽はクライマックスに入っていた。

薄っすらと額に汗をかくスクアーロさまの首筋にはしなやかな銀髪が一筋張り付いている。

「それにしても、女役の方まで踊れるってことは踊る機会があるってこと、なんでしょうか?」

疑問を、溢れるままに口から零せば「なんでそう思うんだ?」とディーノさまが首を傾げていた。

「日常的に、とまではいかなくても踊る機会があるのなら、相手が誰であっても拒絶するほどのことじゃないんじゃないかな……なんて」

「うん。それは僕達も疑問だったんだよね。スクアーロにとっては『たかがダンス』程度のことなのに、あそこまで嫌がるなんて意外だったからさ」

白蘭さまも首を微かに捻りながら腕を組む。

「あまりにも嫌がるから面白くなっちゃって、僕達も簡単には降板を許さなかったわけだけれど…」

「お、面白くって」

トン、と肩から壁に体重を預けた黄薔薇様はニコニコと口端を吊り上げて、円舞に向けていた瞳を俺へと移す。

パチリと合ってしまった視線の先には心の底から興味深いものを見つけたといわんばかりのキラキラ輝く瞳が見え隠れしていて。

「沢田綱吉くんっていう不思議な要素が加わって、ますます面白いことになりそうだ」

思わず「ひええ」と背筋を震わせてしまった。

いつの間にか三薔薇様の視線、三対の瞳を一身に受けていた俺は肩を狭めて口をつぐんだ。

なんだかとんでもないことに巻き込まれてしまっている。

今更、だけど。

右も左も敵だらけ。

四面楚歌、という小難しい言葉が柄にもなく脳内をすり抜けていった。

BGMは高貴なワルツなのに、夜風に一人晒されるマッチ売りの少女みたいな気分。

「本当に、赤くなったり青くなったり、ツナは忙しいなー」

あははと声に出して笑うディーノさまは何度目かの覗き込みで俺の顔色を指摘した。

よしよし、と頭を撫でる手つきはなんだか優しく、焦る心を凪ぐようだ。

「そういえば、ツナはダンス出来るのか?」

「い、いえいえ全然っ」

「あれ?ダンスの授業って二年生からだっけ?」

「そうだったと思うけど?」

鳴り止んだ音楽に気付き、オーディオへと手を伸ばした白蘭さまが、ディーノさまの疑問に答える。

さらっとしたやり取り。なんでもない疑問。

けれど、俺の背筋は先ほどとは違う意味でビクリと震えた。

この流れは実に不穏だ。

「じゃあ教えてやるよ!ほら、手、出して」

「へ!?」

「ほら、こっち」

有無を言わさず手を握ってきたディーノさまは笑みを湛えて二歩三歩と壁際から離れた。

腰に回された手。密着する身体。体勢から思うに、俺が女役、だ。

「ワルツだから三拍子。あ、スリッパはその辺に放っておけよ」

脱げ脱げと促されれば脱ぐしかないのが後輩の性。

生徒会の重鎮にこんな間近で迫られて逆らえる人間などいるものか。

溜息をつく間もなくスリッパを脇に放り出しざま、再び手を取られる。

1、2、3。

1、2、3。

左足を下げて、微回転、右足を横に開いて……のんびりゆったり、刻み込むように説明がてら動かされる体。

ディーノさまのリードはとても手馴れた紳士のそれだった。

とはいえ、言われた通りに動けるほど、俺の運動神経は鋭くない。

「そんな逃げ腰だと格好つかないぞー。こっち向けって。足踏んだって全然かまわないから」

そのための裸足だぜ、と微笑むディーノさまにつられて顔を上げる。

1、2、3。

1、2、3。

そのまま再びカウントを取られ、腕と腰を引かれる。

右足を出して、半回転、左足を斜め後ろに。

そうしてくるくると回り続けていると、いつの間にか音楽が復活していた。

あわせるようにテンポの上がるステップ。

ディーノさまのエスコートのもと、足を踏みつけてしまう度に俺の心拍は確実に大きくなっていった。

反してまったく俺の足先にもかすらない完璧な足捌きは、ディーノさま自身の運動神経の良さを垣間見るに至る。

そうして踊り続けること十数分。

息を荒げる俺は、まだチラチラと足元に視線を投げてしまうが、なんとか足を出す順番は覚えきっていた。

「お、まずい。このままだと次はツナの浮気説が広まっちまうかな」

おどけたように呟いたディーノさまにつられて足を止めたところで、自分たちをとりまく空気の異様さにやっと気がついた。

いつの間にか鳴り止んでいた音楽と共に、ダンス部の面々が白薔薇様によるダンスレッスンの様子を見つめていたのだ。

それはまさに、奇妙なものを見る目そのもので。

「オッケー。ツナ。いい感じに仕上がったので白薔薇ダンス教室は卒業だ」

入学から卒業まで実に二十分以内のスピード学習でありました。

上出来上出来、と笑みを浮かべたディーノさまは俺の体を離しながらダンス部に向かって掌を打ち合わせた。

すでに成されている注目を、改めて惹きつけるように。

「はいはーい。みんなに新しい仲間を紹介するぜー。沢田綱吉クン。今日から群舞に参加するからよろしくなー」

「えっ!?」

行ってこいと背中を押され二、三歩よろけながら進み出れば、複数の視線が容赦なく俺目掛けて突き刺さってくる。

「『いざ』って時に踊れないのは困るだろ。それに、ただ見学ってのもつまんねーだろうし」

そっと背後で囁かれた言葉に背筋を凍らせる。

いざ、という時とは俺が主役を代行する時、ということだろうか。

仮にも俺が指輪を受け取らない方に賭けている薔薇様がそそのかすような真似をするとは敵なのか味方なのかどっちだというのだ。

いや、きっと本気でどっちが主役でもいいと思っているのだろう。

スクアーロさまが主役でも俺が主役でも、薔薇様方にダメージがあるわけではない。

俺がお粗末な演技を披露したところで、所詮は部外者の俺の評判が落ちるだけ、といったところか。

「じゃあ相手が必要だね」

ね、と周囲を見回しながら白蘭さまが腕を組んだ。

「じゃあ、僕が」

すっと上げられた手に視線が飛ぶ。

「え。で、でも、スクアーロさまと……」

「僕は代役だから。本番は誰かと組まなきゃいけなかったし」

むしろお願いします、とひらひら手を振るのは入江さまだった。

許されるのなら、どうしたものかと頭を抱える場面だ。

どんなに鈍い人間でもこの状況で集められた視線の意味は明白だ。

好奇……嫉妬も混じっているかもしれない。

紅薔薇のつぼみを振ったという噂が立ち、その張本人に手を引かれて体育館に登場したかと思えば三薔薇様と談笑し、

白薔薇様直々にダンスの手ほどきを受けたかと思うと、本番では黄薔薇のつぼみのダンスパートナーになるだなんて。

新聞部の格好の餌としかいえない状況ではないか。

なにさまなんだこいつは、と思われてもおかしくない。

そんな注目の浴び方したくなかった。

むしろ注目などひとつたりとも必要なかったのに。

とはいえ、逆らえないのは白薔薇様相手の時と同様で。

それからのダンス練習は散々なものだった。

右を見ても左を見ても視線視線、視線の嵐。

背中からも入江さま越しでもやたらダンス部のみなさんの視線が突き刺さってくる。

おかげでやっとリズムが取れそうだというお粗末な俺のダンスは輪を掛けて惨めなものになった。

一歩踏出せば入江さまの足を踏み、一歩引けば入江さまが俺の足を踏み、音楽の速度になかなか付いていけない俺はどんどん足を引っ張ってしまう。

入江さまも俺のフォローをするまでの余裕はないらしく、二人で顔を見合わせてギクシャクと笑うしかなかった。

そんな最中、視界をよぎる銀色に意識を引かれる。

背を微かに反らし、スラリと一人きりでステップを踏むスクアーロさまは優雅だった。

俺が相手しようか、と申し出たディーノさまをあっさりと断ったスクアーロさまは見えない相手に腕を取られているかのように、たおやかに体のラインを曲げ、ふわりと回ってみせる。

王子様に身を委ねる姫は眼差しを細め、銀色の長い髪を空に舞わせて。

舞台ではあそこに手を取る王子役がいるのだ。

スクアーロさまが見つめる相手。

一体どんな人だろう。

どんな人なら、スクアーロさまは拒絶せずに手を取るというのだろう。

「おーい。綱吉くん」

声をかけられて顔を戻せば、目の前の入江さまがにこりと微笑んでいた。

「スクアーロが気になってしかたないってところかな?」

「あ、いえ、そんな」

はは、と小さく笑った入江さまに引き寄せられてまた一つターンを。

つられて苦笑する口元の引きつりを感じながらも、やっぱり気になるかもと目を伏せた。

優雅で華麗なお姫様。

抜き身の刃を連想させる鋭さを残すスクアーロさまはどんな王子様を思い描いて踊っているのか。

少なくとも、黒曜学院の生徒会長でないことは確かだ。

俺が指輪を受け取る気がない以上、強制的にもスクアーロさまの手をとるのは黒曜からの派遣王子。

間近で突きつけられるであろう射殺さんばかりの視線を思い、俺は微かにまだ見ぬ生徒会長とやらへ同情の念を贈った。

ご愁傷様。

ボンゴレ学園の誇る紅薔薇のつぼみは常に気高く高慢なのだ。





初代様がみてる 4